haaaakaのブログ

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二七日が終わった。


早いね。
あっという間。
もう2週間なんだね。

寂しいな~…



母の最期を忘れない為に
記録用に書いていこう。


って、2回も消しちゃって
もうよくわかんなくなってきちゃった。





3/14
腹水を抜くために通院していたので、この日も1泊入院できるようにと支度をして病院へ。

何日か前から足に水脹れが出来て、酷かった。。


3/15
この日は、特にかわりなく。
食欲はあまり無かったみたいだけど
果物は食べてた。
特に苺とパイナップル。


3/16
食事が取れなくなってきてた。
それで、水分と栄養の点滴が始まる。
でも、まだ受け答えが出来てた。


3/17
この日は、土曜日で私も仕事が休みだったから病院へ。
子供達は、お留守番。

段々と様態が悪くなる。


3/18
この日は、日曜日。
朝から病院へ。
朝方看護師の判断で個室に移動になる。

トイレに行きたいと訴えるので、自尊心はあるんだと安心した。

自尊心が無くなったら早いとある本に書いてあったので…

この日の夜から痛み止も追加に…


3/19
私は、仕事へ。
もう意識がうつらうつら…

医師に今週持てばいいと言われた…


3/20
東京から帰って来てた兄が一旦東京に戻ると。
父も2日前から病院に泊まってたので、着替える為に家に戻ることに。
なので、8時15分に病院に着いて、
私が父と交代。

9時
担当医が来る。
昨日おしっこ出てるし、今日の今日はないでしょうと。
それに一安心。

9時半過ぎに看護師が来て
清拭するのでって病室出される。
20分ぐらいかかるからと言うので
下の売店に行って、パンとお茶を買って
病室近くのデールームで食べてたら

「ちょっと脈拍下がってるのでお父さん呼べますか?」

と。

病室から実家は30分ぐらいかかるから

「30分ぐらいかかると思います。」

と言って


父に電話。
「看護師さんが、脈拍下がってるから、お父さん呼んでって!!」


「今出る」
と父。

たたが30分。
されど30分。

同じ市内だけど端っこのほうだから車でそれぐらいかかる


病室では、母の呼吸が変。

これが下顎呼吸というものだろう。


顎が動く呼吸だった。



母の手を握りしめ
声をかける。

でも、そんな時にも冷静な自分も居た。

時計を見る。
まだ、10時過ぎたばかり。

でも、母は今にも呼吸が止まってしまいそうな…

耐えきれなくなって
10時11分
まず兄に電話するが、出ない。
次に父に電話。

私「お父さん今どこ…?」
父「今、向かってる!!」


父「どうした!?」

私「お父さんまだぁ?涙」
「お母さんがぁ~…涙」


父「!!…涙」


そんなような、会話だったと思う。

父達が着く前にこの世を去った母。
最期に立ち会ったのは、私だけでした。

父達が着く前に旦那にも電話。
20日は、小学校の卒業式で午前中に帰ってくるから、子供達をお願いした。




母の心臓が止まってから
5分もしないで病室に着た父と兄。

死際を父や兄に見られたくなかったからか…
兄がまた東京に帰って
行ったり来たりするのを心配してなのか…

でも、1人きりでなく
私が居ただけでも良かったと…


でも、父や兄からすればやっぱり最期一緒に居たかったんだろうな。





葬儀屋に電話して
母を実家に。
家に帰ってきました。


葬儀は、23日24日で行った。
あっという間。

泣いて
泣いて
泣いて

化粧したけど
泣いて
泣いて
泣いて






寂しい。
淋しい。
悲しい。


母の人生はどうだっただろうか。

父と結婚して
兄や私が産まれ

幸せだったと言える人生であったなら
いいな。