家に着いたとき、現場検証?的なものが行われていました。
敷地のはしで縊タヒしてて、第一発見者は母だった。
お巡りさんに囲まれて、検死のお医者さんも来ていて。母は、その。
めちゃくちゃ怒っていました^^;
まあね。これだけはダメって言ってたことを破っちゃったんだもんね。
でも父の顔はとても安らかでした。
なんだろう、身体は冷たいのに、顔はすごく穏やかで、普通に目を開けて「おかえり」って言いそうな感じだったのよ。
兄も山形から駆けつけてきて。私も忌引きと有給使って葬儀まで仕事を休んだ。
通夜の日、斎場に泊まれるようになっていたので、遺体と同じ部屋で親子三人でのほほ〜んとお父さんはこれで本望だったのね、なんて話をしていた。
なんかすごく実感がなかったよ。悲しいと思うより、え?え?って戸惑いのほうが強かった。
ただ、兄も私も母のことは心配だった。直後はやることいろいろあったのに加え、勢い余って?父のものの断捨離を始めていろんなものを捨ててたしね〜。服は兄が形見としていろいろ持ち帰っていたけど、男物は私がもらっても仕方ないし、私には特に何も残らなかったたな。
で、葬儀が終わって、兄も山形に帰って。私と母だけになって。
その頃にやっと母が泣いていたんですよ。悲しいより腹を立てて怒りで泣いていたに近いけど。
私は母より父よりの子供だったけど、泣いてるの放っておけないじゃないですか。
一ヶ月寄り添って、見事に自分が壊れかけて当時の主治医に怒られました。
私、人のペースに合わせるのが苦手なんですよ。自分のペースを乱されるともろメンタルに響くの。自覚はしていた、自覚はあったんだけど。
涙は軽くなかったの。先日ここに貼った歌の涙はこの体験から来ています。
そこから少しずつ離れるようにしたのだけど。
お父さん、それがあなたの寿命だったんだろうけど。

未だに泣けないのは、母が重すぎるんだろうなぁと思っているよ。
生きてる人間のほうがしんどいもんね。