いぬ(ご近所の仲良しの柴犬・チャミーちゃん)のさんぽをするときにいぬといっしょになると なんかおちつきます。いつもいつも行っているとなんか じぶんでも かってみたいなと思います。でもかうのはたいへんそうだけど かいたいなとこころのなかでいっているようです。でも いえでは かっちゃいけません。
娘のきーちゃんが小二の夏休みに書いた絵日記の一頁。いつの間にか、生きもの大好き、特に犬が好きな子に育っている。誕生日やクリスマスも、動物図鑑や、カプセルの中に小さな生きものの入った菓子を選んだ。将来は上野動物園の飼育係になりたいと言う。でも彼女の今の望みは、自分の犬を飼うこと。本物の生きものと日常的にふれあい、手間ひまかけて愛情をそそぎ、時には悲しみにも出会う・・・そういう経験をさせてやりたいなと私は思う。家に犬がいたらなって想像するのはとてもたのしい。家の事情がわかるから、無理は言わないけれど、娘の望みは伝わってくる。伝わってはくるが、期待させるような言葉は言ってやれない。
小さかった頃から、高校生ぐらいまで、姉と私は、何度も犬を拾って来たものだった。ダンボールの中でふるえて必死にすがるような目をしてミャーミャー鳴く仔犬。毛にはびっしり虫の卵がついて今にも死にそうなのを、放っておけない。親に隠して世話の真似事をするがたいていは死なれてしまったし、見つかると叱られて、また捨てに行ったり・・・どっちみち涙を流すことになる。子供時代、そんなにわがままではなかったと思うが、そういうこととなると性懲りもなく、親を困らせていた。
母の思い出話
“○○子らぁが小学校行ってる時分、洗濯物を干しに子供部屋の前を通ったら押入れからかぼそい鳴声が聞こえるから、なんだんべえと思ってあけたらふとんの上に仔犬がいたんだよ。ハハアきゃつら(あいつら)また拾ってきたな・・・だいぶ弱ってるからこりゃじき死ぬなア、そう思ってまた押し入れを閉めて仕事に戻ったんだよ。”
それだけの話だけれど、今になると母らしいなあ、としみじみなつかしい。私が10才として母は38才。最も忙しい働き盛りの頃だから、仔犬に何もしてやれないのは全く無理もない。黙って見逃してくれた母。その時の犬がどうなったか私は憶えてないけれど、きっと、親には気づかれていないと思って、学校から急いで帰っては世話をし、看取り、泣きながら墓を花で飾り、誰のせいとも思わずに思う存分泣きはらすまで泣いただろう。無言のうちにそれをさせてくれた母の心になんとも言えないやさしさを感じるのだ。
私ならどうする?
汚い、といってふとんからつまみあげ、この忙しいのに、とイライラし、犬なんて拾うんじゃないと怒るはず。現にうちでは一度もそんなことが起こらない。どうにもならないことを懲りもせずくり返す、そんなすき間がない。すき間がない場所は息苦しい。
(8年前の2002年に書いた<つれづれぐさ>です。続きは後半で)
byからし菜
←きーちゃんの絵日記
学童保育から帰ってくると、チャミーちゃんのお散歩に・・・。
きーちゃんがチャミーちゃんの子分であることは、いうまでもありません。(笑)
犬ばかりではなく、生きものが暮らしに溶け込み、物語をつくっていた。一番古い記憶は、庭にうつぶせになって、ニワムシ釣りをしている姿。直径?mmくらいの穴が点々とあいている。そこに細い葉っぱを入れるとその穴に棲んでいる小さな芋虫が葉っぱを押し上げようとして喰らいつく。それをねらってつりあげる子供の遊びに熱中している私。
毎年同じ季節に同じ場所に長々とぶらさがっている大きなヘビの抜けがら。「おらちを守る主(ぬし)なんだかんな、いじめちゃダメだかんな」祖父の梅太郎さんの静かな声が聴こえる。
「道で死んだ動物を見かけたら縁切りのおまじないをしろ、かわいそうと思うと動物の霊がつくかんな。」私は今もその言いつけを守る。でも、この前、父と姉に聞いたら二人とも知らないと言う。自分で話しを作ったんじゃないの?でなかったらおみっつあん(祖母)かなあ、と首をかしげるのだ。
猫でもカエルでものたれ死んでいるものはかわいそうに誰からもおがんでもらえないで成仏できないでいるから、情をかけるととりつくんだよ。だから手を合わせた後でちゃんと縁を切っておくんだよ。そんなふうにおまじないを教わった気がしている。なんとなく感じる気味の悪さ、通り過ぎてしまう後ろめたさを忘れさせてくれる小さな儀式。
幼い記憶をたどっていくと鮮明でひどく生々しかったり、反対にあいまいで所々はげ落ちてしまったりして、全体的には後から無意識に修正したり、演出したりしていることが多い。「現在の自分が求めているものを。思い出しているんだよ。」と心理学を学んでいる友が言っていたが、なる程と思う。
不思議な事に、生きものの事で思い出すことには、残酷な印象のものが多い。残酷と言うか・・・もう少しちがうニュアンスのことば、殺生だなあ、とか、無慈悲だなあ。でもしかたがないことかなあ、といったような印象。暴力的な、悪意や憎悪のこもったものではなくて、昔話に出て来るコワイけど魅力的なおはなしに似ている。真正面から見ているときも、物陰からコッソリのぞいている時も、心の中はドキドキして目はキラキラしていたんんじゃないかなあと思う。
死とか、性に関わるものが、リアルにまっすぐに伝わって来て、それが幼い私にはすごく非日常の、未知の、なんだかよくわからないけどたまらなく惹きつけられるような出来事だった気がする。
具体的に書くと、動物愛護教会から苦情が出そう。家族の人格を疑われそうでためらう。親としては子供に見せたくないと思って遠ざけてしまいがちだ。例えば死。温もりが消え、絶望的に冷たくなり、軽くなり、毛が抜け、強ばって、平たくなっていく亡骸の感触や、とり返しがつかない後悔。例えば性。育てられないとわかっていたら、不妊手術を施したりして産ませないようにするのが今はあたり前だけど・・・産むにしたって、相手を選んで血統を守ったり、人が手を尽くして産ませたりする。
でも私が子供の頃はそんなじゃなかった。家にはシロという犬がずっと飼われていた。シロは真綿のかたまりみたいにフワフワでまっ白のスピッツ。いとこが飼いきれなくて、もらったのだと思う。血統書つきの繊細な犬だけれど、うちに来たらエサは残飯だし、散歩なんてしない。のら犬がつがいに来る。雑種の仔犬を次々に産む。もちろん一人で産む。シロは野太い野性味のある表情になっていった。仔犬の名はコロ、ポチ、クロ、チビ、いつもそんなだ。だけど、こうして書いていて思い出したのだけれど、あんなにたくさん産まれた仔犬はどうしたのか、犬はいつもシロだけだった気がする。ダンボール箱に入れて捨てに行く父の苦しげな顔を思い出した。泣いている姉と私。それから、祖母が豚小屋に投げ入れたシーンを。「そこまでしなくても」といつになく祖母にたてつく感じの母の声。豚が骨を砕く音。
だけど、これも私の記憶はまだら模様で、確かめると、○子は直接見てなかったはずだよ、それに生きたままじゃなかったよ、と。一度きりの事だし、気性の激しい所のある祖母が言葉で言っただけだったのかも知れない。でも頭のすみの方に残っている・・・もしかしたら、何度も性懲りもなく捨て犬を拾ってきたことにつながるのかも知れない。
自分の犬として、大切に育てたい、いつか大きくなって、自分が力を持ったら、きっと・・・!
大人になったら、自由にやりたいことができるようになったらきっと・・・!
子供の頃の思いって、消えたようでも火種が残っている。どこで、どうつながるか説明できないけれど、父や祖母が具現した現実の厳しさ、深く生活に根ざした揺らがない哲学、生きるものさしというものが一方にあり、普段はそこにむかっている。でも働くこと、生活すること、学ぶこと、精一杯張りつめて頑張っていると時々、とても息苦しく、苦労に感じて、もう一方の“犬のいる暮らし”に象徴されるようなもっと自由でもっと楽に自分の心を解放して私らしく生きられる場所へ行きたいと夢を見てしまう。
もう少し楽になりたい、と言うのは私のわがままなのだろうか。自由になりたい。幸せになりたい。と思ったり口に出したりすることが今はとてもしんどい。押えようとする力が強くて、無理に心の中のフタを持ちあげようとあがくより、じっと中でおとなしく今ある自由や今ある幸せの恵みを大事にしていたくもある。
生まれた場所から遠く離れて
もうどのくらい経ったのだろう
やすらぎと温もり求めて
あとどのくらいさまようのだろう
やまざきまさよしのHOMEを口ずさむ。
涙を忘れてゆくからストレスがたまって疲れちゃうんだ
昔描いたあどけない夢は今もその胸に残っているかい
過ちも償えない 今から帰るよ
君が待つ所へ
昨秋、叔母がきづなの“犬が欲しい”という思いを汲んで、ソニーのAIBOを譲って下さった。思いがけなく、エンターテインメントロボットとの共生が始まった。「ひできち」と名付ける。「ライフ」というメモリースティックと入れて、赤ちゃん時代からだんだん成長し、先日成年期へと進化した。もうびっくりする。「成人の日にはビスケットを焼いてひできちをお祝いしよう」そういって娘たちが張りきって準備を始めている。おめでとうひできち!