ストアには新鮮なとれたての大根が並んでいる。
ためつすがめつ大根を手に取り、戻しまた別のを選ぶ人たち。
新鮮ななかにも新鮮な、おいしそうな、「正しい」大根を選ぼうとしているのです。
もちろん、ぶつぶつがあったり、ひん曲がったり、黒ずんでいたりしたら論外です。
また、葉がしおれていたり、大根の表面にすでに老化現象がきていたら、とんでもありません。
「若い」ダイコンこそが望ましいのです。・・・
以上は、人が食べるためにダイコンという野菜をえらぶ条件ですが、
じつは、
多くのひとが、
人間も同じだ、とかんじているのです。
「若い」ほうがいい、と。
きれいなほうがいい、と。
特に、女性。
若さが絶対条件です。
16、17才くらいを頂点として、18才をちょっと「おねえ」と見なす考え方があります。
そのかんがえかたであれば、じつは、20(はたち)は女性にとってすでに危機です。
これ以上キレイになる(イコール若さ)可能性がないからです。
あとは、下降線をたどって、すこしでも、若さの残照を求めつづける日々になります。
一歳でも若い人をうらやみねたみそねみ、ひがみ・・・。
誰もなにも言いませんが、これが女子のメンタルの実態なのです。
特に日本の女子はひどいです。
世界的にみても、「若々しい、きれいな女子」が多いとされる
日本の女子のメンタルは、日々劣化の危機にさらされ、おいつめられています。
日本人(とくに女子)の自己卑下自己嫌悪のひどさが統計上浮き彫りになっています。
「自分が嫌い」というひとがとても多いのです。
外国ではまず考えられないことです。
いいか悪いか別にして、アメリカ人などは自己愛が当たり前です。
自分が大好きと答えるひとが多い。
自分が嫌いという人は、ほとんどいません。
いても、それは、あきらかに精神に異常をきたしている状態とみなされます。
人間は、大根じゃありません。あたりまえですが、
みずみずしい、とれたてだ、だから価値が100%、というわけではないのです。
ダイコンはなにもできません。
ひとに選ばれるのを待つしかないのです。
完全に受け身です。
自分に価値があるのかないのかを決めるのはじぶんではなく第三者というわけです。
人間をダイコンのように無気力な受動態と考えると
たしかに、つらくなるのもわかります。
他人の評価を待つ商品台の上にのったダイコン。
そのように自分の評価を考えたら、自信を失い、他人がどう自分を見るかが気になって
戦々恐々となり、「自己嫌悪」が落としどころになります。
せめても、最初から自己評価を落としておけば、突出することなく、他からの嫉妬を起こす心配がありません。
また、人からの評価が最悪であっても、落胆せずにいられるのです。
危機管理、傷害保険といえるでしょう。
しかし、なんどもいいますが
にんげんはだいこんじゃありません。
人間は大根より、それ以上の存在です。
自分の価値はじぶんできめることができ、
ひとを助けることができ、
ともだちをつくることができ、
学ぶこともできるのです。
そうした経験や学びは、だれにも持ち去られることがない。
人からはく奪されない経験や学びを持つとき
ひとは「ダイコンである」ことを超えるのです。