今まで感じないようにしていた自分の中の自分。


それは
誰かを知らないうちに傷つけてしまっていた自分。

誰かを傷つけるなんてタブーで
意識的に誰かを傷つけようなんて思ったこともない。





だからこそ、自分の意識とは関係ないところで誰かを傷つけてしまった自分が
すごくショックだった。


自分のなかにダメでヒドイ私がいると思ったら、受け止めることもできなかった。





だから今までは、受け止めなくてもいいように


誰かから「あなたのせいで傷ついた」といわれたら



傷つけた原因を
何か他の出来事のせいにしたり、誰か別の人を巻き込んだりして



ダメでヒドイ自分を見ないように
受け止めないようにしてた。






でもね、じっくり感じてみることにした。




誰かを傷つけた自分。


誰かを傷つけるなんて思ってもみなかった。だから自分自身にショックを受けた。

そのことをじっくり、じっくり噛み締めてみた。


ショックな自分。


ダメな自分。


タブーをおかした自分。



悪いことをした自分。



目を閉じて、じっくりじっくり感じてみた。






ショックだった先に何が見えてくるのか.......







そしたら、心の中に小さい頃の自分がちょこんと出てきて




「悪いことをした私も受け止めて」



「ダメな私も受け止めて」




「タブーをおかしても私の価値は変わらないから大丈夫だよ、私はなくならないよ」







って言ってたんだよね。






この言葉たちが、なぜか心のぽっかり空いた穴にハマって



カチっ!て音がしたんだよね。






あぁ。そっか。






私が私自身を信じてあげてなかったってこういうことだったんだなぁ。




だって、ショックを受け止めれなくて崩れて立てなくなるんでしょ?
って卑下してた。



もしもタブーをおかしたら、私自身すらも消えてしまう恐怖みたいなのもあったと思う。





だってタブーが命綱だったから。



誰かを傷つけないから
自分は存在できてると信じていたから。



命綱を必死で離さないように
握りしめて、自分自身も信じずに
ただただ、ギュッと握ってた。




タブーをおかす自分を捨ててきた。



清く、正しく、美しくありたかった。






でもタブーをおかした自分を
自分の中に戻したら


「やっと戻ってきたね。おかえり。」
「見つけてくれてありがとう」



って、心の中の小さい頃の自分が暖かくなったんだよね。





初めて味わう感覚なんだけど
この感覚までたどり着けたのは
きっと、マママスのおかげなんだと思う