正解のない時代を生きる、私たちの「モヤモヤ」
「このままでいいのだろうか」。
理由ははっきりしないけれど、胸の奥に澱(おり)のように溜まっている、正体不明の違和感。
多くの人が、そんな「モヤモヤ」を抱えながら日々を生きているのではないでしょうか。
現代社会は、効率と成果、そして「正しい答え」を出すことを、私たちに強く求めてきます。
最短距離で結果を出し、早く何者かにならなければならない。
その焦りの中で、気づかないうちに、感性や立ち止まる力をすり減らしてはいないでしょうか。
そんな息苦しさとは対照的な学びの場をつくっているのが、NPO法人夢ノ森伴走者CUEです。
彼らが沖縄で行っているフィールドワークは、効率を競うためのものでも、模範解答を覚えるためのものでもありません。
むしろそこでは、
問いの中に身を置き、あえて「立ち止まること」そのものに価値が置かれています。
今回は社会教育の視点から、
この沖縄での学びが、なぜこれからの時代に必要なのかを紐解いていきます。
Takeaway 1:あえて「答えのない問い」に身を投じるという選択
沖縄は、「4人に1人が戦争を体験した」と言われる土地です。
フィールドワークでは、対馬丸記念館、シムク・チビチリガマ、南風原壕群20号、辺野古の基地建設現場など、今なお痛みを伴う場所を訪れます。
そこにあるのは、戦争の記憶、環境破壊、政治的対立。
そんな、簡単に整理できない「むずかしい問い」ばかりです。
僕はこれらを知識として消費することをよしとしません。
現場の空気に触れ、沈黙の時間を過ごし、「分からなさ」を抱えたまま、その場に立ち続ける。
解決できない問いを、自分事として引き受けること。
そのプロセスこそが、知性の核だと考えています。
なぜ今、「答えを出さないこと」が重要なのか
情報が溢れる現代では、私たちはすぐに検索し、手近な正解を拾い上げ、「分かった気」になることができます。
けれど、自分の生き方や社会のあり方に、即答できる正解など本来ありません。
宙吊りの状態に留まり、問いを問いのまま抱き続ける。
その時間が、誰かの言葉ではない「自分の言葉」を育てていくのです。
答えのない問いに出会い、向き合うことこそが、
これから社会を生きていく私たちにとって、大切な学びになります。
Takeaway 2:「混ざり合わないまま、隣にいる」という関係性
CUEの学びを支えているのは、独自の対話のデザインです。
象徴的なのが、「emocode(エモコード)」と呼ばれるツール。
MDF素材のピースやシンボルを使い、言葉にしきれない「今のじぶんのきもち」を「かお」として表現します。
ここには、ひとつの大切なルールがあります。
「他人のつくった『かお』を、評価しない」
言葉にならない感情を、否定されることなく差し出せる場。
その体験が、思考の深さを静かに広げていきます。
夜には、SVC(非暴力コミュニケーション)の思想をもとにした
「エンパシーサークル」が行われます。
助言しない。評価しない。結論を急がない。
ただ、耳を傾け、感じ取ったことを短く返す。
意見の一致よりも、「そこに一緒にいること」が大切にされます。
分断の時代に必要な「混ざらない共生」
私たちはつい、正論で相手を説得しようとしたり、
自分と同じ考えに染めようとしたりしてしまいます。
色を混ぜて一つにする関係ではなく、それぞれの色のまま、隣に座り続けるというあり方。
分かり合えなくてもいい。
でも、否定せずにそこにいる。
この感覚は、評価と比較にさらされ続ける現代において、
大きな救いになるはずです。
Takeaway 3:教育のゴールは「ヒーロー」をつくらないこと
CUEの教育理念は、とても静かで、あたたかいものです。
それは、社会を変えるヒーローを生み出すことを目的にしない
という姿勢です。
人は、正しさや使命感だけでは、長く歩き続けられません。
むしろ、「隣に誰かがいる」という感覚こそが、人を動かします。
無力感を抱いてもいい。失敗してもいい。
大切なのは、
絶望に飲み込まれず、
誰かを切り捨てず、
自分自身を壊さずに、
それでも世界と関わり続けること。
教育のゴールは、ヒーローをつくることではなく、
世界に絶望せず、関わり続けられる人でいること。
僕が目指しているのは、強いリーダーではなく、伴走し合える関係性です。
Takeaway 4:フィールドワークは「ゴール」ではなく「スタート」
沖縄での3日間は、ゴールではありません。
むしろ、スタートラインです。
僕は、旅の後に続く「伴走支援」にこそ教育の価値があると思っています。
なぜ「事後の伴走」が重要なのか?
多くの体験プログラムは、「感動」で終わってしまいます。
CUEが事後の振り返りと伴走にこだわるのは、学びを日常に根付かせるためです。
特別な体験を、日々の小さな行動へと翻訳する。
この丁寧な往復運動が、自己効力感を育てていきます。
社会は、私たちに「早く何者かになれ」と迫ります。
けれど沖縄で過ごす時間は、
「何者かになる前の自分」でいてもいい
と、そっと許してくれます。
誰かを引っ張る一歩ではなく、隣に立つことで生まれる最初の一歩を「ゼロイチ」と呼びます。
それは、小さくて、静かで、それでも確かな始まりです。
最後に、あなたに問いを残します。
答えの出ないモヤモヤを抱えたまま、あなたは、誰の隣にいたいですか。