まんてん

まんてん

この道をゆけば どうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一歩が道となり その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ

Amebaでブログを始めよう!
この度、新ブログを立ち上げることにしました.

僕にとっては、どうやら今年は一つの大きな節目の年のようで心機一転の意味も含めて今までとは異なるスタンスでブログを書いていこうと思ってます.

アメブロには僕のお気に入りのブロガーさんもいらっしゃることもあり当面このまま残しておきます。

短い間でしたがお付き合いありがとうございました.(感謝)


新ブログはこちら
やはりタロットは多層的、重層的に読まなければならない…
という面白い体験をした。

っていうか、オモロイ体験だったことにさっき気付いた(笑)
次の勉強会のネタがひとつ出来たニコニコ
アセンションとやらが囂しく喧伝された2012年もあと2時間ほどで終わりを迎えます.

一部であれほど騒いだ割には”一見”何もありませんでしたね.

”いっけん”ね(笑)

でも、まだ陽の目を見ないところで決定的に重要な変化がすでに起こっているのを感じています.

その事も相まって「”もうこれからは今までみたいにはいけないんだ”」と云うことを日増しに実感する体験が増えていくんじゃないかな。

それは個人レベルでも、集団、共同体レベルでも

そうしたことにどれほど意識的、自覚的であるかどうかがこれからの個々の進むべき道の大きな決定因子となるように思います.

アセンションが語られる中でよく言われている2極化と言うのはこう言うことなのかと自分なりに分かったように思います.

それは、ポジティブ vs ネガティブなんて単純なことじゃないんだよ.

今にして思えば、そんな単純な構図を持ち出すこと自体にすでに旧態依然たるトリックがあるんだけどね.

まぁ、実は僕としてはそんなことなんかどうでも良くて(笑)

怒涛の一年が幕開けする予感をひしひしと感じているわけで…

間違いなくターニングポイントになるんだろうなぁ と

もしアセンションなるものがあったとして

それが僕の場合はどうなのかというと

つまり、僕のアセンションとは。。。って考えてみると

徹底的に自分に嘘がつけなくなるってことなのかな

なんて思ってます.

ちょっとメモで

フラワーオブライフ(生命の花)は実にシンプルな形でその事“も”表現している。
実は人間関係も異なる位相(オクターブ)のガイド体験なのだろう。

マルセイユタロット全六回の講座無事に終了しました。

理解が進むほどに、僕の人生における問題が明確になっていく…
ある意味皮肉?な結果が一番の成果かも知れません。

やっぱり、その傷口に手を突っ込まなあかんかって感じです。
出来れば避けたかったけど、現実とがっちりリンクしてるからそうもいかんわなぁ

でも、おかげで第三の道も見えてきました。
文字通り未知なる道ですが…

見たくない問題の中にこそ、解決への道があり、また、問題の本質がある。


そんなことを思いました。
「邂逅」とは、思いがけなく出会うこと、めぐりあい、偶然の出会いを意味する言葉です。

先月からマルセイユタロットを学んでいます.

独学ではなく、とある先生の下で学んでいます.

特にマルセイユタロットにこだわったわけではなく、一目惚れした先生が教えられていたのがたまたまマルセイユタロットだったわけです.

学びの先生としては他にも数名の方が候補としていらっしゃって、僕なりにサーチしてみたりもしたのですが今ひとつ決め手にかけるというか、ピンと来なくて…

そんな時に偶然(どこをどうやってこの先生に辿り着いたのかよく覚えていないのですけど)、先生のブログに出会って、「”あ!この人や!”」って単純に決めました(笑)

サーチする必要など微塵も感じませんでした.

ちなみにその時の感じはこんな感じです.

まんてん

それで実際にカードの意味とかリーディング方法など学んでいくわけですが,僕が捉えるカードの視覚的表現と僕が内的に感じるものが上手くかみ合わなかったんですね。

そんな折に、たまたま図書館から借りていた和尚の本の中に、ある一枚のカードの意味がそのまま書かれているんじゃないかと思えるような記述を見つけまして、精読していくとこれが面白いほどマルセイユタロットの理解に役立つことが分かりました.

といっても、あくまでも僕の勝手な理解なので単に誤解しているだけかもしれませんが(笑)

でも、その理解の時の感じも

まんてん

こんな感じだったので、迷うことなく深読みしてます。

それぞれの偶然の出会いが、面白い発見をもたらしてくれました.





吉凶判断するわけではない

来るべき未来を教えてあげるわけでもない

ましてや、”問い"にたいする”答え”を提示できるわけでもない。。。。

言うまでもなく、『占い』という範疇でリーディングを括ってしまうなら

それで、満足できるなら

上の3つとも可能であるし、実際のところそうしたものは世間に溢れている。

その事の是非はもちろんの事、その(社会的?)役割を否定するつもりもない.

しかし、僕はそうしたことには興味はない.

実際やってみて分かったのだけれど,どんどん自分が閉塞していくのが感じられる.

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人は問う

否、問わずにはいられない。

それは、人としてあることの必要条件だから

その問いは、必ずしも明確に言葉としての体をなしていないかもしれない

それでも”問い”であることに変わりはない

”問い”とは”躓き”であり、その内容がなんであれ、それは”躓きの石”として現前している.

”躓きの石”は生きている限りなくならない。

仏陀はその事を短く【一切皆苦】と述べた(ということになっている)

(注 ただしこれは僕の理解であって一般的な解釈ではない)

でも、この”躓きの石”は同時に”可能性の石”でもあると思う.

”飛躍の石”といってもいい

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ここで、”リーディング”なんて持って回った言い回しはやめようと思う.

それは、僕の理解ではただの「対話」でしかない。

ならば、その「対話」は何によって可能になるのか?

どこへ向かうのか?

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僕には、いま未だ形ならざるあるヴィジョンがある.

ぼくの『対話』はそこへ向かって開いていこうとしている.
世の中は
食うて糞して
寝て起きて

さてそのあとは
死ぬるばかりぞ


一休禅師
賀茂家 陰陽師 役行者 弘法大師 天河神社 高野山 石上神宮 事代主命 …

なるほど

それぞれのノードが繋がってきた

でも、まだわからないこともある

別に分からないままでもいいかとも思う

でも、知りたい

誰か教えてくれないか?