結婚を決めたとき☆ | 手探り福岡生活☆

手探り福岡生活☆

韓国とオーストラリア生活を得て日本へ出戻り☆
人生の後半突入のRitaのシングルライフFourthStage♪


結婚へ。


結婚しようと決めたのは、もう3年前で、
正確に換算すると、3年と2ヶ月前。


オーストラリアで付き合っていたションが、

韓国へ帰ってしまった。


彼は最初は、学生ビザの半年

+1ヶ月おまけの7ヶ月の予定できていた。

それが切れる一月前に、
私のいる間はと、観光ビザに変えて延長してくれた。


でも悲しいことに、

韓国には1年パスポートなどと言うものが存在してて。

彼は、これで来てたのだ。

本人的には、留学のためにつくっただけのパスポート。
1年で十分と思ったらしい。


それで、ビザは伸ばしてくれたけど、

伸ばせたのは、パスポートが切れるまでの4ヶ月先まで。

そして、その日は来て、彼は去っていった。



付き合い始めて、4ヶ月ぐらいして一緒に住みだした。
こっちでは、一緒に住んでるカップルはたくさんいた。
日本でもいるように。

でも韓国人の彼には、同棲は重いことらしくて、
何度か一緒に住もうと言っても断られた。

でも、彼の学校が卒業して、
ようやく一緒に住めることに。


私の住んでたアパートに、彼が引っ越してきた。

他にも、部屋は探したけど、なかなかいいのは見つからず。


私の住んでたアパートは、3LDKで、

インドネシア女と、日本人カップルが住んでた。

ひとつの大きいマンションに、数人が暮らす、

シェアハウス。


その日本人カップルが住んでたのが、

マスターベットルーム。


言葉通り、主人が住むお部屋で、

寝室も広くて専用バスルームが付いてる。


そこを、彼らが出て行くというので、すんなり私が引越し。

そしてションが入居するという形で落ち着く。


同居は、楽しかった。


毎日が修学旅行の夜みたいだった。

シングルベットを二つ並べてたので、

どっちが私のものだとか、

たわいも無い言い争い。

さすがに枕投げはしないけど…☆



私にとっては、初めての同棲。
日本では、絶対不可能だな。

韓国人のションにとってもそう。



何がよかったかと言うと、
一緒に出かけて一緒に同じ部屋に帰る。

一緒に飲みに行って気分がよくなっても、

一人になることはなく、別れは来ない。

帰りの心配をすることなどない。


好きな人と、ずっと一緒に居られる。

同じ部屋に帰って、同じベットで寝る。


朝になって、目を覚ませば奴が横にいる。
好きな人と一緒に暮らすって、
こんな楽しいことだったんだと、実感。


そんな生活をしていたが、

彼の帰る日が近づいてきて、

とうとう別れの日が来た。

彼が、部屋を片付けてるのがほんと、寂しかった。

二人の部屋だったところから、

彼の物がどんどん消えていく。


彼は、別の方向を見ている。


私は、取り残される。


彼の物はきれいになくなり、一人になった。
この広い、マスターベットルームは、
ほんと一人ぼっち感を、ふんだんに味わわせてくれる。



同棲したことを、後悔した。
普通に付き合ってた彼と別れただけなら
そうでもなかっただろうが、

同棲は重すぎる。


この部屋とションはセットのようだった。

夜仕事から戻って、ドアを開けるとションが居た。

でも、もう居ない。

二つ並べてた、マットレスも重ねて、一つにした。


とても寂しかった。

それから、5週間ほど一人でその部屋にくらした。


休みの日の朝と、

仕事で遅く帰ってきた夜は特に寂しかった。


一緒に住むとなると、

もうション以外考えられなかった。

彼以外には、考えられない。
そんな思いでいっぱいだった。


この5週間は、今まで味わったことの無い寂しを味わった。


ションと、もう一度一緒に住みたいと思った。


そして、私のワーホリも終わり、AUSを離れた。

韓国で、彼と再会する約束をしていた。


幸いにも、福岡とプサンは近い。

日本に戻ると、一週間もしない間に、プサンへ渡った。

会ったら、ぜったい、結婚したいって言おうと決意して。