お母さん、私にがんが見つかったよ
お母さんが旅立ってから、何度も「おかあさ〜ん」って思うことがあったけど
こんなにお母さんにいて欲しいと思ったことない
もうすぐ50歳になるのに、お母さんがいてくれたらなと思う。
検査して見つかってから、どこで治療をするか
G研病院はやっぱり予約が取れないし諦めるかと思ったけれど
G研病院の乳腺センターにお世話になることにしました
理由として第一位はやっぱり緩和ケア。
気が早いと怒る人もいるかもしれないけれど
やっぱりこの若さでがんができるということは
この先、全く別の原発のガンもできる可能性が高いし
5年後、10年後、30年後かもしれないけれど
私ががんが原因で死ぬだろうし
第2位は、臨床試験を積極的にしてること
まだ日本では広まってない治療法も積極的に受けるチャンスがある。
第3位はお母さんと通った病院だから
母の通院に付き添う中で、嫌な思いをしたことが一度もない
医者はもちろん、ナース、スタッフ、レストランの人誰も嫌な人がいない
そういう環境を維持できる人、いい気が流れてるとか表現する人がいるけど
いい気なんて流れてるわけない
そこに所属してる人、一人ひとりが意識を高く持って
いい環境を維持してくれている。それ以外にはない。
G研病院の乳腺センターの最初の予約は4週間後だった。
でも、毎日電話したよ。ごめんだけど。
コールセンターの人に本当にごめんなさい。切実で・・・
みなさんそうだと思うのですが、切実すぎるので明日も電話させてくださいと
毎日電話したら、最初より12日早い予約の日が取れました。
その時は、「明日なんですけど」って言われて行きます!何を差し置いても行きます!!!!と言って
本当にありがとうございます。
リアルに毎日電話してお手数をおかけしましたと言ったら
いえいえ、よかったです。と言ってくださって気が休まりました。
母と回った検査コースを自分の足で歩く
ああ、お母さんもこの部屋で採血したなとか
こっちだこっち。。。
もうすぐ手術なんだけど、母も同じ手術室だったのかなとか思います。
もうどこにもいないのに
母の闘病に伴走した過去の自分と母との思い出と
そのかけらが病院の中にあって不思議
ごめんね、私が病気になっちゃったよ
誰よりも私の幸せと健康を願ってたのに
ごめん!
でも、生きるよ。私は生きる!
