今(2025年)から数えて7年前のクリスマスに起きた話・・・・
当時、父を見送り、母の在宅介護も二年目を迎え、その母も入退院を繰り返していた時のことです。
このブログの幼少期の思い出で書いたと思いますが、私が子供の頃は、クリスマスの時期は両親とも店が忙しく、私は一人でテレビを見ている事が多かったのです。
テレビの中では家庭で家族揃ってパーティーをしている映像が流れていましたが、これは自分とは別の世界のモノなんだと幼心に言い聞かせ、別に羨ましいとは思いませんでした。
キリスト教系の中学高校に入ってからは、クリスマスと言えば降誕祭のミサがあり、およそ思春期の男子生徒には退屈な礼拝でしたが、私としては、ようやく居場所を見つけた感じでした。
先日、母を緊急入院させたときに、若い当直医は母の大動脈弁狭窄症の手術を迫り、私は拒否して怪訝な顔をされましたが、その後に院長でもある老齢の主治医は、
「人工弁への大手術したとしても、寝たきりが解消されるわけでもない、術後の状況は今よりずっと悪くなりだろう、今は穏やかに最期を待つことでいいのではないか」
とおっしゃってくれて、私も気持ちも落ち着かせることができたのです。
ところが、本日、義姉が電話がありました。
母が入院したことは言ってあったので、そのお見舞いの電話かと思ったのですが、母の状況を訊かれ、私はこれまでの状況と主治医の話をしたのです。
義姉は、
「それで、なんで手術をしないの?可能性が低いとはいえ、手術が成功すれば、まだ生き永らえることは出来るんでしょ」
と言い、
「生きる尊厳という言葉もあるけど、天寿を全うするという言葉もあるのよ」
とも言いました。
またそれか!・・・・・・・・・・・
五年前に父が消化管穿孔の入院中に起こした誤嚥性肺炎で、植物人間状態になり、胃ろうによる延命か、点滴を外すかの選択を迫られた時も、兄弟で集まり、次兄は、
「今後何年も介護施設で胃ろうによる延命処置を続けたら、母の健康状態が心配だ」
と言って尊厳死を主張しましたが、義姉は今日と同じ言葉を言って延命措置を強く希望しました。
義姉の旦那、つまり私の長兄は喘息が元の心臓発作で、あっという間に急逝してしまったし、次兄の奥さんは乳がんで数年に及ぶ介護の末、最後は苦しがる妻の痰の吸引を次兄がしながら引き取ったので、本人や家族を苦しませるより尊厳死を望んだのです。
二人の意見が分かれる中、それでも2人は、
「だけど決めるのは治ちゃんよ」
と付け加えました。
それと同じことを、兄と義姉は今回も繰り返す。
言っている事の正当性、どちらが正義なのかは私だって疑問がある。
そして今回も決めるのは私であり、場合によっては今後、重い十字架を私は背負って生きて行くことになるのです。
義姉は言う事だけ行って電話を切りました。
義姉からの電話が終わった後、私が肩を落としていたのを妻は察したようで、
「お父さん、こんな時には智くんの動画を見て元気を出すのよ」
と言って肩を叩いてくれた。
半月前に生まれた初孫の智くん。長男のお嫁さんが、毎日ラインで送ってくれる動画は確かに総ての疲れを癒してくれるカンフル剤です。
それよりも、私の気落ちを察して子供っぽく元気づけてくれる妻の存在が嬉しいのです。
「俺、ちょっと寝るわ」
部屋は暖かかったので、ソファーに深く座って目を閉じたら妻が毛布を掛けてくれました。
飾り棚に置かれたツリーの電飾が催眠術のように深い眠りに誘われました。
うとうととして少し寝たようですが、すぐに目を覚まし、外出することにしました。
12月21日土曜日、昨年まで天皇誕生日だった12月23日が今年から平日になったために、この土曜日が一番のパーティー日和になったようで、イルミネーションで飾られた横浜の町には多くの若者たちや家族連れが闊歩して賑やかでした。
私は、42年ぶりに卒業した学院に入ってみました。
この日、K学院では卒業生と在校生の父兄を対象にしたクリスマスミサが開催されるはずで、開催の知らせは毎年来ていたが、実際に参加するのは初めてでした。
私は42年前と同じように、京急黄金町駅から、かつて歩きなれた通学路を登り、懐かしい学院むかっていました。
なんで来てしまったのでしょうか、過去の思い出をたどることで疲れた心を癒そうとしたのかもしれません。
学院はキリスト教とはいえカトリックではありませんから告解という制度はないのですが、
教会で懺悔をしたかったのかもしれません。
ところが、学院に一歩入ったら、もう全てが変わっているのです。
もともとK学院は、JHモーガン設計による瀟洒な塔がある建物が学院のシンボルで、その丘の上に明るい低層の校舎が並んでいたのですが、シンボルである塔も含め全ての校舎と記念講堂や体育館も無くなり、モダンで無機質な新しい校舎や大講堂が建っています。
ちょっと幻滅、これじゃあ思い出を辿ることも出来ないな!
私は苦笑しながら、6年間通った校内なのに、矢印の案内板のままに礼拝堂迄導かれ受付をしたました。
受付では名前、連絡先、卒業年度を書く用紙があり、それに記入するとミサの案内状と、このミサで歌われる讃美歌、それと笑ってしまうのはOB会の案内状と会費の振込用紙を渡されて、席に着くことになりました。

かつては木のベンチだった礼拝堂の椅子もミニシアターのようなクッションがある座席に替わっていて、初老の自分にはありがたかったです。
礼拝堂内の席がほぼ埋まったころ、場内が暗くなりステージの上には中学高校生たちで構成された聖歌隊が出てきます。
その中の聡明そうな少女が真ん中に出てくると、パイプオルガンが鳴り響き、その少女が一人で、讃美歌111番「神のみ子は今宵しも」を歌いだします。
まるで宝塚歌劇団のエトワールのように、スポットを当てられ、透き通った歌声は素晴らしかったのですが、この歌はみんなで歌いたかったなぁ。
それから司会が出てきて開会の挨拶をし、牧師が一言喋ってから、また讃美歌98番「雨には栄」を歌って、牧師の説教を聞き、降誕祭の祈りをして讃美歌112番「諸人こぞりて」を全員で歌い、献金の間に聖歌隊が115番「ああベツレヘムよ」を歌い終わりました。
献金はさすがに一万円かな~、千円かなと迷いましたが間を取って5千円札を入れて、礼拝堂を後にしました。
まあいいか!高校時代の思い出は辿れなかったけど、クリスマスに自分の居場所を見つけたことは、ここに足を付けて自分の信じる考え方で母の病気や介護と向き合っていけるか?、となんとも抽象的な思いを胸に礼拝堂を出たら、階段の手前で長身の女性がこちらを向いて待っていました。
「岸田君?、岸田君でしょ?」
その女性は私に向かって言っています、まさか。。。。
「・・・ミカさん?」
その女性が、高校時代のクラスメート、山本実加さんであることはすぐにわかったのですが、まさかここで出会う奇跡が信じられませんでした。
【ミカさんについては、過去記事「橄欖.4」~「橄欖.13」あたりを参照】
ミカさんは青空のよう爽やかなブルーのコートに水色のマフラーを巻き、髪は高校時代と同じようなロングヘア―で、とても同い年とは思えません。
「どうしたの?」
「なんか信じられなくて、凄く綺麗だし」
「まあ、お上手ね、クリスマス礼拝、毎年来てるの」
「うんうん、初めて、卒業してから初めて来たんだ。」
「そうなの?私もよ」
ミカさんは42年前と同じ声で、そう言うと笑っていました。
私達は、話しながら42年前と同じ校内の道を通って、校門から出て、通学路を駅に向かって歩き出しました。
「岸田君も変わらないわよ」
「そんな事あるわけないでしょ、女房には変わり果てたって言われるよ」
「面白い。奥様と仲がいいのね、お子さんは?」
「男の子が二人、31と29、このあいだ、長男に孫が生まれたんだ」
私は実加さんの訊かれるままに近況を話したけど、実加さんは自分の事について話しません。
僕が「実加さんは?」と聞いても「私はいいのよ」と言うだけです。
話ながら歩いた私達は、駅前の横断歩道まで来てしまいました。
「で、どうしてクリスマス礼拝に来る気になったの?」
赤信号で立ち止った実加さんは私の方を向いて言います。
「んん、話せば長くなるんだけど、まだ少し時間いい?」
と訊くと、ミカさんは高校生の頃と同じように斜めに頷いて、
「いいわよ」と言います。
どこかのお店に入って話の続きをしたかったのですが、この辺には遅くまで営業している喫茶店やバーはありません。
「今も山下町に住んでいるの?」と訊くと
「ええ」と言います。
「それなら近くに知っているお店があるから、タクシーで行こう」
そう言って私はタクシーを止めて、玄武門近くのバーSLOWに入りました。
タクシーの中では、昨日公開された映画「スターウォーズ」の話をして、
「あのシリーズの第一話を二人で観に行ったよね、あれがようやく今回の作品で終焉になるんだって」
などとたわいもない話をしました。ミカさんはアナキンとパドメのエピソード3までしか観てなく、ディズニーになってからの新しいストーリーは知らないそうです。あれほどのスターウォーズ・ファンだったミカさんもディズニーになってからのは観ないんだね、やっぱり内容が暗いよね、その時はそう思っていたのですが・・・
山下町のバー・SLOWに入り、僕はギムレットを、実加さんはタイタニックというブルーキュラソーを使ったカクテルを頼みました。
ブルーのコートを脱いだ実加さんは、ブルーグレーのタートルネックのニットを着て、胸の膨らみが眩しかった。だけど、やはりどう見ても40代にしか見えない若々しさでした。
「実加さん、本当に若いよね、40代にしか見えないよ」
「こらっ、世界中の40代の女性を敵に回さないの、岸田君、誰にでもそう言っているんでしょ?」
ミカさんはそういった後、
「んで、何を悩んでいるの?」
ミカさんは僕の心の中をの覗くような、意地悪い上目遣いで尋ねてきました。
私は、母の介護を続けてきたことを説明した後、今回の延命措置についての意見、当直医や主治医の異なった説明、次兄と義姉の考え方、そして自分の考えは、ようするに介護に疲れ、それを止めたいから思い付いたのではないかと自分の心の中を探るように話しました。
今日42年ぶりに再会したミカさんなのですが、何故か私の心の中にずっといた人みたいに、深い話も出来てしまいます。
「それはさぁ、」
ミカさんはカクテルを一口飲んでから言いました。
「理論で考えちゃあだめよ、お母様の生きている尊厳を守りたいから延命はしないとか、倫理を通したいから延命するとか、きっと岸田君の事だから、目の前の課題を全部自分で決めて、自分の決断だ、自分の責任なんだって、一人で十字架を背負おうとしているんでしょうけど、主治医の先生がそう言ってるんだからそうしました、って他人のせいにしちゃっていいんじゃない?」
懐かしいミカさんの喋り方です。彼女は昔から人を諭すように話します。
「お父様の時の岸田君の判断は間違ってなかったわ、今度だって間違ってないはず、岸田君は悪いわけじゃないんだから、自分一人で十字架を背負って悲劇のヒロインを気取らないで、もっと淡々と生きなさいよ、60まで生きてこれたんでしょ?高校時代にスキー場で女子大生をナンパしたのと同じように、あの時はこうだったなぁって思い出にしちゃっていいと思う。」
ミカはそこまで話して、僕の反応を見ようとして、僕の目を見ながら、また斜めに頷いて「ん?」と尋ねる。
「ただね、お母様は今が一番寂しい時期だと思うのよ。だってベッドで一人になって、今後生きるか死ぬかもご自身では分からないんですもの、それで子供達や先生が延命とか尊厳死について話し合っていて、その話が聞こえないとしてもよ、希望も何も無くなって、ものを考えることさえも否定されちゃう状態なんですもの。ミカも病院のベッドで一人にされたからわかるの」
ミカさんはここでまた、青いカクテルを一口飲みました。ブルーグレーのニットでブルーキュラソーのカクテル、真っ白な顔とこの世のものとは思えない美しさでした。
「だから、お母様の傍に居てあげて、実際に隣に居なくてもいいけど、心は隣に置いてあげて、岸田君の優しさを死を真近かにしたお母様に感じさせてあげて、岸田君ならできるわよね。ミカもそうして欲しかったから」
僕を説き伏せるように一気に喋るのは高校時代と同じでした、そして自分の事を『ミカは』と言うときは、何か強く訴えている時でした。
そんなミカさんと一緒に居た時の空気感を懐かしく感じた時、
15年前に開催された同窓会で、同じクラスメイトの恵美子に会った時、ミカ他界したと聞かされたことを思い出しました。
えっ、ミカさん、ミカ、死んだんじゃ?
そう思った瞬間、夢は終わりました。
よくあることです、夢の中に父や兄など死んだ人が現れて、『あれ、お父さんって死んだんじゃなかった?』と思った瞬間夢は醒めるのです。
でも今回は醒めたくなかった。目が覚めても、もっと長い間、ミカさんと話したい、夢よ醒めないでくれと叫びたい気持ちで、でも目は醒めてしまったのです。
バーSLOW店内のクリスマスツリーは我が家の飾り棚のミニツリーに替わっていました。
「お父さん、ちゃんとにベッドで寝ないと風邪ひいちゃうわよ」
目の前で赤いタートルネックを着た妻が優しく言ってくれました。


