しにたいって言ってる人をただのかまちょって馬鹿にしてる人は、ほんとにその人が死んだ時どんな顔するんだろう。所詮他人だからそれほどダメージもないのかな。3日で忘れるかな。


死にたいって言う人正直私も嫌いだけど

言わないと生きてられない時期があるのもわかる

ほんとに死ぬ気がなかったとしても

それをただのかまちょって言われた途端

じゃあやっぱり死のうかなってなる

人の感情なんて分からないんだから

伝わらないのは仕方ないことだけど

かまちょって言ってる人の前で

飛び降りてみたい

一生人が死ぬ瞬間を覚えていてほしい

死にたくて死ねない人もたくさんいるけど

人が消えるのって一瞬なんだよ

やっとの思いで出したSOSかもしれないのに

それを君らは笑って馬鹿にして

人1人、君らが殺したんだよって

そう言ってやりたい


そんな人達のために死ぬとか馬鹿みたいだけど

ほんとに死にたい時ってそんな理由で充分だと思う

私の友達は最後のストレス発散の手段として

大迷惑をかけて死んでやるって言ってた

人身事故なんて日常茶飯事だし

それこそ大迷惑なわけだけど

わざわざそういう手段を選ぶ人が居なくならないのは

そういうことなのかなと思った





人に対して攻撃的になっている気がして怖い

今まで黙ってスルー出来てたようなことに

いちいち突っかかってしまう

自分を棚に上げて文句を言いたくなる

不満がない人なんていないし

全員に好かれるなんて無理だと分かってるけど

他人の愚痴で会話が弾んでしまうと

急に我に返って怖くなる

自分もこうやって言われてるんだなって

冷静になってくる


時間あるとすぐ暗い方に思考がいくの、

ほんとよくないと思うので早急にやめたい


最近生きるも死ぬもどうでもよくなってきた

ただ今は死にたくないから生きてる

生きたって死んだって人の価値は変わらない

私の価値は変わらない

それなら、

自分が死にたい時に死ぬのがベストだとも思う

誰が、とかじゃなくて

もう自分で選択できる

自分が納得できる時に死ねたらそれでいい


人目を気にしないのは無理だったけど

意識的に自分中心で考える余裕ができてから

なんとなく息がしやすくなった


他人に期待しないと言いながら

他人のせいにばかりしてたことにも気づいた

人は、環境は、こんなもんなんだと

もう充分わかったから

私は自分さえ良ければそれでいい

自己中でいい

嫌われてもいい、と思いたい

実際は嫌われたくなくてまた嘘をつくけど

そんな矛盾すらも

自分が良ければ全部良いってことにしたい


この世界がどうとか

世の中がどうとか

そういうのばかり気にするのはつまらない

変えられないものを変えようとするより

自分が変わったらいいんだった

ずっとそうしてきたのに、忘れてた

自分になんらかの価値を見出せれば

私は私の幸せを願えるんだろう






今がいちばん自由で楽しいのかもしれない


時間を気にする必要もなくて

好きな時に好きなことができて

みんなが当たり前に学校だのバイトだの

頑張ってる間に

私は寝たり遊んだりしてて


ずっと望んでた生活なのに

このままでいいのかなって不安が

なくなることはなくて

なにを目指したらいいのか分からなくなった


「何かを頑張っている自分」の方が

人から好かれることを知っている

だから何かを頑張っている自分のことは

そんなに嫌いじゃない

他人に幸せの基準を委ねてしまっている

楽しそうだね

幸せそうだねって

人から言われてやっと気づける

今楽しいんだ、自分は幸せなんだって

今生きれることはありがたいんだって

思えないけど

思わなきゃいけない

誰かに必要とされることは

きっと幸せなことだから


たくさん本を読んできてよかった

感情のサンプルを知ってるから

笑えるし、泣けるし、怒れる

誰かの感情に共感もできる


今生きてることが

誰かと笑えることが

きっと幸せなんだって

暗示をかけておかないとな



なんで自分はこうなんだろう

もう何千回目かわからない問いを

毎日考える

 

幸せは人と比べるものじゃない

自分が気づくものであるべきだ

 

どうしたら自分は幸せになれるのか

既にあるはずの幸せを感じられるのか

どうしたら自分の未来に希望をもてるのか

生きたいと思えるのか

自分が生きることを許せるのか

 

高望みだなと思う

答えがなくたって生きれるのに

考えるのをやめられない

 

目の前にある幸せを感じれない

生きている実感が湧かない

ずっと望んでいた生活をしてるのに

なにも埋まらない

 

 

「早く復学した方がいいよ」

そうだよね

私ってなにやってるんだろう

もうなにがしたいかわからない

 

 

「生きてれば考えなんか変わるよ」

そうかもしれない

でもその”いつか”を待てない

 

 

「どうにかなるから」

分かってるよ でも

”どうにかして生きたい”なんて

思ってないんだよ

 

 

どうして自分はこうなんだろう

卑屈で 面倒で

そこにあるはずの幸せを感じれない

そうやってまた自分を悲観してるから

いつまでも前を向けない

なんで、こうなんだろう

 

 

強くなりたい、って

いつも口だけで

ずっと弱いままの自分なんか

一生大嫌いだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一生現実逃避していたい

自分がどれだけ無茶な我儘を言ってるか

分かっているつもりだ

どうにもならないと匙を投げるのが早すぎて

方法を探さないまま

できないならしなくていいと諦めた


どうしたって自分の人生だ

他人が悲しむから?

それがどうした

どれだけ悲しむ人がいたって

代わりに生きてくれるわけでもない

親不孝、恩知らず

なんとでも言えばいい

なんで人を悲しませないために

私が苦しまなきゃいけない?

そうやって人を引き留めながら

自分は先にいなくなるくせに

無責任なんだよ

なんで私はこんなに苦しいんだろう

誰もどうしたらいいか教えてくれない

頑張れば乗り越えられると思ってるんでしょう?

壁は越えられる人にしか来ないって

都合のいい言葉を盾にして

支えてあげれば

話を聞いてあげれは

なんとかなると思ってるんでしょう?

余計なことしないでって

突き放したのは確かに私だけど

無理なものは無理なんだよ


"10年後どう思ってるかなんて分からない"

たしかにそうだよ

でもその10年どうやって生きてくの?

ぼーっとただ息だけしてたらお金くれるの?

違うだろ

結局10年頑張らなきゃいけないのは私で

10年後を生きたい保証もなくて

でも今を生きてなきゃそこには辿り着けない



こんなの考えたもん負けだ

気づいたもん負けの無理ゲーだ

脳死でくだらない人生を送って死にたかった

この世界で生きれる方法を見つけられない





20歳になった

沢山おめでとうって言ってもらえた

今年は一人じゃなかった

 

成人年齢は18になったけど

20歳の特別感は変わらなくて

いよいよ大人になってしまったなと

少し憂鬱な気分にもなった

 

なんとなく目が冴えてしまって

このブログを書いてる

そういえば去年の誕生日は散々だった

おめでとうも言ってもらえて

プレゼントももらったのに

でも何かがずっと足りなくて

それが何なのかすらわからなくて

空っぽで 怖くて

なにもできずに1人で泣いてた

涙こそ出ないけど

今年も同じような気持ちになってしまった

何かが足りなくて

でもそれが何かわからない

 

外は雨が降ってる

風の音が少しうるさい

たしか一年前も雨が降ってたんだよな

なんでこんなに覚えてるんだろう

こんな、どうでもいい記憶

 

 

「大人になったら」

花屋さんになりたい

教師になりたい

司書になりたい

バスケの審判員になりたい

声優になりたい

通訳の仕事がしたい

留学したい

日本語教師になりたい

マネージャーになりたい

秘書になりたい

アスレティックトレーナーになりたい

スポーツ栄養士になりたい

経営者になりたい

経営コンサルタントになりたい

 

 

たぶん人一倍職業については調べてきた

随分たくさん辿ってきたけど

やっと大人になった今、思うことは

 

「働きたくない」

 

それだけだ

 

嗤っちゃうようなほんとの話

頑張るのは30までと決めた

10年後働かないために

今日からの10年を生きる

生き急いでいる

心がもたないことを知ってるから

あえてそんな期限を設けた

「まだ20でしょ」って

たまに言われることがあるけど

もう、20なんだ

なんとなく生かされて

なんとなく働いて

人間関係に悩まされて

お金に悩まされて

この先ずっとそんな人生送るなんて

絶対に願い下げだ

私の一生はあと10年で終わる

成功しても

失敗しても

あと10年で終わる

そこから三度目の人生を送る気になれたら

勝ちってとこだろう

 

みんながみんな

好きなことを仕事にはできない

いい環境で働けるわけでもない

馬鹿は搾取され続けるし

この社会のシステムに振り回され続ける

文字通り「死んでも嫌だ」と思う

生きるために働いてるのか

働くために生きてるのか知らないけど

 

 

 

 

と、ここまで書いて寝落ちしてた

たくさんおめでとうメッセージがきてて

上辺でも嬉しいなぁ、とか

また曲がった受け取り方をしてる

人の言葉を素直に受け取るって

なんでこんなに難しいんだろうな

 

いつの間にか雨は止んだみたい

20歳1日目、今日はなにをしよう

とりあえずギフト券使いに

買い物にでも行こうかな笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれだけ強くなりたいと思っても

そう簡単には変われない

 

精一杯虚勢を張って

すぐに挫けそうになる自分を殺して

まだ大丈夫

まだ大丈夫って

馬鹿みたいに唱え続けて

私ならできるはずだって

根拠のない自信掲げて

でも全然大丈夫なんかじゃなくて

不意な優しさに涙が止まらなくなるくらい

本当はずっとギリギリだった

 

でもそれでいいと思った

そうやってたまに発散しながら

強がり続けたいと思った

強くはなれないけど

強がることをやめたら

もっと弱くなってしまう気がした

 

弱いままでいるのは楽だ

このまま流されて生きることもできる

一生弱い自分のままで

後悔し続ける人生を送る方が容易い

 

でもいつかこの強がりを本当にしたい

心から幸せだって思いたい

生まれてきてよかったって

産んでくれてありがとうって

いつか心からその言葉を言いたい

 

自分から出る言葉が薄っぺらくて

それが本当に気持ち悪い

本当はもっと汚くて醜いのに

綺麗に取り繕えてしまう器用さが憎い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分と外の世界を比べることに

終わりなんてこない

いつだって隣の芝は青く見えて

自分の芝と見比べては落ち込む

自分らしくていいのだと

頭では分かっていても

比較をやめられる日はきっとこない

 

大抵の場合

隣の芝が青く見えるのは錯覚で

本当は よく目を凝らせば

全然青くなんかないってことも

知っている

でも”隣の芝は青く見える”

 

人は繋がっている

祖父母、父母、子、孫

上司、同僚、親友、恋人、恩師

それぞれが生きてきた人生があって

それぞれが与えられたものを持って人と関わり

それぞれがまた、誰かに受け継いでいく

同じつくりの芝なんてないのだから

周りと比べるなんて間違っている

本当は優劣なんてないはずなのに

見た目だけ比較して

勝手に優っていると思い込むのは

ただの傲慢だ

同じ環境に自分がいたとしても

同じように青く見える芝になったかなんて

誰にも分からないのに

 

結局大切なのは芝なんかじゃなくて

それをつくる自分自身だろう

 

 

わかって、いるんだけどな

このどうしようもない劣等感は

どう扱えばいいんだろう

 

 

 

 

どうして正解はわからないのに

間違いはわかるんだろう

文句を言うのは簡単だし

欠点を見つけるのも簡単なのに

正解なんてどこにもないし

最善を見つけるのも難しい

 

何かに対する批判の声を聴くたびに

”じゃあどうすればよかったんだろう”

そんなことを考える

政治や育児に関しては特にわかりやすい

全部手探りで、正しいことなんて何もなくて

何十年後にやっと答え合わせができるような問いに

向き合い続けなきゃいけない

 

 

私が母を責める気になれないのも

そういう感情が少なからずある

勿論期待していないというのもあるけど

どこが間違っていたなんて

今さら分からないから

あの時こうしてほしかった

こう言ってほしかった

そんなすれ違いの積み重ねで

そもそも実家の居心地が悪かったのだって

母だけのせいではない

むしろ、全部母のせいだと罵れたら

それこそどんなに楽だっただろう

 

今になっても

正解なんてわからなくて

たとえ過去に戻れたとしても

何を正していけばいいのかわからない

それでも私は

私と母は

どこかで間違えたんだと思ってしまった

 

せめて何を間違ったのかだけでも分かれば

もう少し将来に希望を持てたのかもしれない

母と自分は違う

自分と子どももきっと違う

でも、自分と同じ道を辿らせてしまうことが

どうしようもなく怖い

だから子育てはしたくない

だから子どもはいらない

夢がないと言われてもいい

親不孝なんて今さら

幸せにする自信がないのに

無責任なことをしたくないだけだ

 

 

前ブログに

自分はいじめっ子なんだと書いた

小中の頃の加害者意識が抜けなくて

だから被害者ぶる自分が余計に嫌いなんだと

小学生の頃の話は多分書いた

今日思い出したのは中学の部活のこと

 

私は一つ上と一つ下がいつも苦手だった

それは今でも変わってない

明確な理由は答えられないけど

たぶん接し方が分からないんだと思う

中学の部活はそれがいちばん露骨に表れた

一つ上のキャプテンと

一つ下の後輩

練習中いつも何かしらイライラした

相手に原因がある時もあったけど

特に何もない時でも

まるで嫌い探しをするように

言動全てにイライラしていた

その時の後輩には

自分の中で正当だと思った時に

ちゃんと本人に伝えられた

 

問題は先輩だった

言いたいことは勿論直接伝えたけど

自分たちの代が仲が良かったこともあって

半ばいじめのような空気を作ってしまった

指示に適当な返事をしたり

言い返して文句ばかり言ったり

先輩にも原因は確かにあった

理由なくそういう態度を取っていたわけじゃない

だからその時はいじめの意識はかけらもなかった

でもこうして記憶を振り返ると

あれはれっきとした部内いじめだったと思う

 

よく、傷つけた方は忘れるといわれるけど

私は傷つけた記憶の方がよく残ってる

逆に傷つけられたことはすぐに忘れる方だ

だから一度離れた人とは

二度と深い仲にならないと決めてる

覚えていないからすぐにまた仲良くなるのだけど

毎度同じように傷ついてから気づく

「あぁ、だから離れたんだった」って

何度思ったかもう数えきれない

 

 

 

まただいぶ話が脱線したけど

つまりは正解がほしかったって話でした

この先も正解なんてきっとわからないけど

せめて自分が選んだ道を

自分で正解にしていける力がほしいな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もともと勉強は好きな方だ

無駄な時間だったと言いたくはないが

去年一年間(正確には半年)

無理して大学に通う必要はなかった気がする

 

私は進学する大学を決める時

自分が譲れない条件をいくつか提示して

先生のもつデータベースで絞ってもらった

一つは、国立四年制大学であること

一つは、九州の外であること

一つは、学力試験が不必要なこと

初めは自分で進学したい大学をたくさん調べた

でも私は決めきることができなかった

今自分がいる学部で学べるのは経済学

その他に、法学、文学、語学、栄養学など

興味のある分野がたくさんあったからだ

何度も先生と面談をし、私は最終的に

”どこでもいい”と結論を出した

本当にその時学びたい事があれば

きっとどの場所、どの学部にいたとしても

したい勉強はできると思ったからだ

そのことを伝え、私は先の条件で大学を決めた

 

 

その時先生に話したことを思い出していた

学校に行かなくたって勉強はできる

どこにいたってしたい勉強はできるはずなんだ

今、去年教科書として買った

ミクロ経済学の本を読んでいる

とても分厚くて難しくて

去年はテストのことを考えて絶望してた

でも今は、読み進めることが

知ることが、すごく楽しい

 

去年は一度だって勉強を楽しいと思えなかった

合格した後、一瞬で気力を失くして

入学する前から退学したいと思っていたし

やめたい、でもやめたら生きていけない

という思考のループで

成績と奨学金のことしか考えられなくなっていた

 

純粋に勉強が楽しいなんていつぶりなんだろう

思えばいつも何かに追われるストレスがあって

学びたいことを学べる時間なんてなかった

高校三年間も、去年の一年も

ずっと色んな勉強をしていたけど

どれも義務的な勉強ばかりで

楽しむ暇なんてなかった

その時学んだことだって

確かに今に繋がっているけど

なんか少し悔しいなと思う

 

 

来年復学するかどうか

そういう意味でももう一度考えようと思った

確かに得られるものは大きいけど

大学のカリキュラムに従うということは

その分時間の使い方も制限される

どの選択が自分にとっていちばん有益か

ちゃんと考えて、選びたい

 

 

 

 

ほんとに小学生かと思うようなこだわりだけど

昔からやれと言われるとできなくなるんだよなぁ、

(かといって言われなければやるという保証もないから、周りの大人はさぞ苦労してくれたんだろうなって思う(⌒∇⌒;))