10月6日(月)
前回のブログ更新から、なんと3ヵ月が経過している。
割と赤裸々なことも書き殴って来た5年間の軌跡があるこのブログも、もはや死に体だ。
自分で書いたくせに内容がすっかり失念された前回の記事を改めて読み返してみた。
「最近書いてないな」と気にはしつつも、なまじ更新までの時間が空いてしまうと改めて経緯や出来事を時系列的に書くのもおかしいだろうと思いながら、結局3ヵ月も放置という体たらく。
しかし実態としては怒涛の3ヵ月でもあった。
かなりというか、ガラリと状況が変わっている。
季節も、仕事も、周囲の人も、日々の時間の流れも。
変っていないのは住んでいる部屋と、夜には寝ていることくらいではないか?と感じる。
◇◇◇
配達の仕事は、8月中旬に辞めた。
配達する行為そのものに嫌悪はないが、あまりやりがいを感じることもできなかった軽バン業界が居場所であることには常に嫌悪があった。
5月時点で所属会社には申し入れを済ませてあったので予定通り、円満に卒業した。
「やっとここから脱出した」という開放感を味わったが、それは9月には消えていた。
数日間は好き放題に脱力をしていたが、次の【やるべきこと】への気持ちが焦りと共に押し寄せた。
所属会社の社長は、私の今後に非常に好意的だった。
事務所のある敷地内に、私の居場所を確保してくれたからだ。
次の仕事の作業場所としての機能や、水道や電気の設備も貸してくれるとのこと。
もちろん多少の家賃的なものは発生しているが微々たるもので、ありがたい事この上ない。
しかも、事業に失敗したと思った時や【食べるための副業】のための仕事もいつでも相談に乗ってくれるという。
おまけに次の私の仕事の客として年間契約までしてくれるという大盤振る舞い。
タラレバの話になるが、儲けというものが出てきたところで何らかのお礼をしようと思っている。
◇◇◇
前回の記事では7月前半で、開業準備中であった。
8月中旬までは配達業の休日にのみ、準備作業やHPデザイナーとの打ち合わせをする日々。
コンシェルジュを自認するだけあって様々なアドバイスや提案が目白押しだった。
全てを任せられるほどの予算もないので、自分で考えなければいけない宿題のようなものも多々。
よくわからないwebでの媒体作成には知恵熱が出る日々だった。
そのせいか、配達業の最終日を迎えてからは体調が急激に悪化した。
安心というか気が抜けたのかもしれない。
誰かに会う予定などもほとんどなかったので、自宅療養で済ませたがおそらくはコロナに罹っていたはずだ。
本心は医者に行きたくなかっただけだ。
痛み止めと市販の風邪薬を飲みながら、途切れてはぶり返してくる刺すようなノドの痛みと、毎夜上がる熱感ピークやら頭痛やらと闘うこと2週間。
このまま死んでしまうのではないかと思ったくらいだ。
◇◇◇
そして9月になり、骨組みが出来上がったHPをネット上に設置。
デザイナーとともに細かい修正を密に話しながらの日々に、かつての知り合いや紹介してもらった法人などへの営業活動。
少し高かったが、カラーや加工をふんだんに使った新しい名刺はどこへ出しても褒められるので気分が良かった。
思えば名刺交換なども10年くらいしていなかった気がする。
時折デモ洗車などをしながら、実際の営業開始で困らないよう追加で資材の買い付けもした。
それを試しつつメニューの見直しを何度も行い、その度に各書面を修正する。
業務としての新たなSNSアカウントの開設と、キャンペーンの準備をする1か月。
デザイナーとは時々意見が衝突することもあったが、お互いに会う時に昼メシだけは一緒に食べるようにしてコミュニケーションを取りながら乗り越えてきた。
そして10月になり、正式開業日を静かに迎えた。
チラシのポスティングなどの鳴り物は、まだ一切ない。
細かい変更もあるであろうし、web掲載のための資料はまだ作りたいものがある。
言うなれば、私は【1人親方】なのでスタートはこんなもので良いのだ。
デザイナーと2人きりで、開業の祝いも兼ねた壮行会が居酒屋で静かに行われただけだ。
派手な船出を欲してはいなかったので、それで満足だった。
静かな10月1日を迎えた。
それから数日を過ぎた現在。
未だネット上からの完全新規顧客というものは残念ながら、ない。
しかしイケるのではないか?という【手応え】は感じている。
最初の客は、口コミで依頼をしてきた。
表参道で輸入家具販売を営む会社の社長で、依頼のクルマは絵に描いたような外車の高級スポーツカーだった。
帰り際、やたらと商売のアドバイスをしてくれて苦笑いするしかなかったが、それはそれでありがたかった。
体にハンディキャップを抱える人のコミュニティからの依頼もあった。
いくら所得が高くても、車椅子生活で洗車はできないという。
そうした人たちの支援というのも新しい視点だった。
製造から50年が経過したアメリカンマッスルカーの依頼も請けた。
契約にはならないものの、話をしたほとんどの人が興味を持って聞いてくれる気がした。
助成金を受けた行政区からのクーポン広告への掲載案内に、地元ケーブルテレビへの出演交渉、HPを見た同業他社の方からの情報交換要請にイベントでの応援依頼。
もっとも欲しかった年間契約も、少ないが取れている。
そうした新しい景色が、私にとっては全てが【手応え】となっている。
自分が感じる追い風というか、背中に受ける勢いを感じているのだ。
まぁ儲かっているとはまだ言えないが、金は後からついてくるだろう。
忙しくなってきたけれどこのまま良い年末を迎えたい。
今はそう思っている。
◇◇◇
両親は、時々電話をくれる。
いつもの生存確認だ。
例の姉の件で、疎遠にはなっているが親が気にならない子などそうそういない。
体調を慮ってくれる両親に、「変わりなくやっているからそちらも健康で過ごして欲しい」と伝えるのみ。
配送の仕事を辞めたことは、伝えていない。
◇◇◇
思えば私は一人で暮らしているものの、孤独ではない。
そう感じる事が増えたことに感謝している。
かつては孤独死予備軍であることを悲観したこともある。
逃げるように引っ越してきたこの街にも、7年目にして参画意識というか【自分が出来ることで地域に貢献】とか【社会から居場所をもらっている】と思い、実感する場面が増えてきた。
それは廃れていく商店街を盛り上げようとする地元の有志との出会いであったり、名刺を出して初めて出会う方からの「他の人にも声をかけておきますね」というさりげない一言だったりする。
このブログでも、溜まり過ぎた私のストレスの発散に付き合って、貴重な時間を使ってコメントまでくれた顔の見えない優しき友人たちがいた。
改めて感謝を申し上げたい。
◇◇◇
現在53歳と7か月。
華の高校39年生とでも言おうか。
ありがたいことにまだ体はそこそこに動く。
この夏には、離れて住む息子が高校野球でスポーツ紙全てに載るほどのホームランを打って大活躍をした。
因縁の強豪相手に感動的なリベンジ勝利となったことが話題になった。
惜しくも甲子園出場にはならなかったが、あまりにも感動的なシーンで何度も繰り返し動画を見たものだ。
そのことをきっかけに、同様に離れて暮らす娘が私に連絡をくれたことで再び交流をすることにもなった。
娘とだけではあるが。
すでに成人して美容師として自分の旗を掲げる夢を持つ娘とは、今となっては親子というより1人の社会人同士としての新たな関係になった気がする。
もう娘はおろか子供たちと会うことはないだろうと思っていた私は、言うまでもないが喜び以外に感情が湧くことはなかった。
人生には何が起きるかわからない。
私は仕事を創り出し、動けなくなるまでそれをこなし、悲観せずまだまだ幸せになりたいという野望をもって生きてやるつもりだ。
生き直しは、もう終わりだ。
もう【直す】のではない。
ただただ、己が考える良き方向へと向かって淡々と生きるのみ。
差し当たっては、外食で行きつけの店などを作っても良いかもしれない。















































































































































