いつもみゃーちゃんを気にかけていただき、
ありがとうございます。
そして、前回の「天使猫」への報告ブログにも沢山のメッセージをありがとうございます。
お返事を、泣きながら書きました。
いつまで経っても、悲しかったり淋しかったり、突然淋しさが溢れてきて大泣きするのですが、
泣くことは感情の浄化にも繋がると思いますので、外じゃない限りは我慢しないで泣こうと思っています。
落ち着いたらしっかりとご報告ブログを書こうと思っていたのですが、
そう簡単には落ち着きそうにありませんので、一旦はみゃーちゃんの最期の頑張りをご報告いたします。長くなってしまいましたので、お時間のある時にお付き合いください。
みゃーちゃんは、
本当に最後の最期まで親孝行すぎて完璧な天使猫です。
にゃんこの日に逝くって。。。
1月19日に食べられなくなっているんです。
1ヶ月、水だけ。
最後の3日はほとんど水ものめず。
そして、
長い長いお別れ期間を設けてくれたこと。
癌告知の12月から
少しずつ、本当に少しずつ弱っていく姿を見せてくれて、
その度に、泣いて泣いて覚悟して。
何回泣いたか。
どれほどの涙を流したか。
ヘタレ過ぎてイヤになる。
みゃーちゃんは、前向きに、生きる気満々でいるのに、
お風呂でトイレて、電車で、布団で、泣いたダメダメな母。
そんな日々でした。
みゃーちゃんの終末期の様子です。
土曜日は前々回の記事に書いたとおり、和室に移動。
木曜日も金曜日も99%がコタツの中でしたので、これは奇跡的なことでした。
これは、みゃーちゃんが自力で立ち上がった最後の動画です。
飲もうとしても飲めていません。
この後は、
お水入れをお口の所に持っていき、
お口をつけてあげると何とか一口飲み込むというのが精一杯。
しかし、月曜日にはそれも出来なくなりました。
お口を動かすのに、お水を飲み込めない。
スポイトでお口に入れてみたら、
溢れて出てきてしまうお水に血が混じってピンク色で。
それでも、少しは潤うのか、お口を動かすので、何回もトライ。
二回ぐらいは飲み込めたと思います。
そして、しばらく休んでいたら、
立ち上がれないのに、必死に立とうとするから、
おトイレだと思い、お父さんがみゃーちゃんを抱っこしておトイレに置いてくれるも、出ないのでオムツにしました。
そこからは、もう、なにをやっても無理で。
火曜日は、頭を上げることも出来なくなりました。
私はどうしても仕事を休めず。
お父さんに全てを任せて。
お父さんは、自分のおトイレ以外はみゃーちゃんの横で。
ちょくちょくナデナデしながら一日を過ごしました。
私はみゃーちゃんの最期を看取れない覚悟でスマホの電源を切って仕事をし、
終わったと同時に電源を入れたら、
お父さんから「間に合うかも」というメッセージが。
電車の中でもみゃーちゃんのカメラの画像を見ながら心の中では走って帰りました。
17時過ぎに帰宅してナデナデしました。
柔らかーい毛。ほわっほわっ!
しかもこれってゴロゴロいってるよね?
限定一分以内。
長過ぎると鬱陶しくなるようでした。
帰宅して数時間は意識があり、
ナデナデにも反応してくれていましたが、
だんだん呼吸が苦しくなり、痙攣も時々。
宙を掻くように両手を動かしお口をガチガチと噛むように動かして、その度にお口から血が混じった粘液が溢れます。
その発作の間隔が少しずつ短くなってくるも、なかなか逝けず。
二人で、ナデナデしながら何度も、
「ありがとう、みゃーちゃん。」
「うちの子になってくれてありがとう。」
「頑張ってくれて、ありがとう。」
「みゃーたちゃん、大好きよ。」
「みゃーちゃん、愛してる。」
そして、
「もう、頑張らなくてもいいんだよ。本当にありがとう。」と。
それでもみゃーちゃんは何時間も頑張ってくれて。
そこで、ふと思いついたのは、
みゃーちゃんと川の字で寝よう!でした。
みゃーちゃんの愛していた和室で、三人で寝ようということになり、
久しぶりに我々も和室の布団に。
ここ一ヶ月は、布団をみゃーちゃんがいつでも自由に使えるように、
我々は別の部屋でキャンプ生活を送っていました。
それを、二人の間にみゃーちゃんを移動して、川の字。
念願の川の字です。
相変わらず呼吸は、苦しそうだったり穏やかになったりの繰り返し。
二人で交互にナデナデしなが見守りました。
そんな感じで、二人の気持ちも穏やかになっていき、
日付は2月22日に。
そして、ふと、二人が寝落ちしたそのすぐ後に、
みゃーちゃんは、旅立っていきました。
はっとお父さんが気づいた時には、みゃーちゃんの呼吸はなく。
二人で名前を呼びながら大慌てでナデナデ。
「みゃーちゃん、ありがとう」
「みゃーちゃん、お疲れ様」
「みゃーちゃん、大好きよ」
いくらナデナデしてもみゃーちゃんは、目覚めませんでした。
お目目を閉じて丁寧にエンゼルケア。
みゃーちゃんの体は、まさに骨と皮。
そして癌のできた右側のお口や頬は崩れてしまっていました。
それでも、毛はふわっふわで柔らかくて。
しっぽは立派な鍵しっぽ。
このしっぽで、我々に沢山の幸せを連れてきてくれました。
本当に、どこまでも天使猫。
みゃーちゃんがいてくれたから幸せでした。
私の仕事が22日だけ休みでしたので、
そこで葬儀。
みゃーちゃんの生まれ故郷の東京都府中市にある慈恵院での火葬をお願しました。
スイトピーとミモザを買って、
あとは慈恵院にお願していたお花で埋め尽くして。
みゃーちゃんは、とっても可愛い寝顔です。
真っ青な青空。
みゃーちゃんはお日様が大好きで、
だから昼間は和室に来ていたのです。
お空に戻る日もみゃーちゃんの大好きな晴天。
みゃーちゃんの魂は、お空の上に行ってしまいました。
淋しいし、悲しいし、どうしたら良いやら。
でも、みゃーちゃんは、最期の最期まで、しっかりと生き抜いて、
あまりにも立派な姿を見せてくれました。
あんなに頑張るなんて。
絶対に諦めない。
「生に対して前向き。」
この言葉通りに、前向きに生きる姿を見せてくれました。
みゃーちゃんという存在に、感謝しかありません。
本当に、我が家に来てくれてありがとう。
にゃんとも親バカ会のゆーりんさんと、
「猫の下僕達」という猫友仲間からのお花に見守られて、
今、みゃーちゃんは、キャットタワーに君臨しています。
長きに渡り、みゃーちゃんを見守っていただき
ありがとうございました。
たくさんの応援や祈りに、どれほどたすけられたことか。
心から感謝いたします。
みゃーちゃんの体はお空に行ってしまいましたが、
ブログはたまに更新しようと思います。
私の中ではみゃーちゃんは、永遠の天使猫です。
これからも、たまに天使猫みゃーちゃんの思い出にお付き合いいただければ幸いです。
感謝を込めて。
みゃー父
みゃー母
最後にお花に包まれたみゃーちゃんの姿の写真があります。
苦手な方はここまでで。
ナデナデは気持ち良かったにゃ~。
みゃーちゃんでした