当初、事業は順調に拡大していきました。いやむしろその成長は著しく、急激に発達していったと言っても良いかもしれません。97年には13件だった年間施行件数は、98年に24件、99年に43件と倍々に増え、その後00年36件、01年49件と横ばいの期間を挟むものの、02年には62件、03年には65件と増え、ピークとなった04年には98件を記録します(05年81件)。
その原因は複合的なものだったでしょう。M氏が日本ではかなり古参の部類に入る4代目ほどにもなるクリスチャンホームに育ち、教会社会に知己が多かったことや、教会コミュニティに関わっていくことに物怖じがない性格であったこと、また当時プロテスタント系の葬儀社で目立つものはそれ以前に勤めていたパイオニア企業ぐらいしかなく、競争が少なかった中で価格面などで不満を抱いていた教会人も少なくなかったことなどが大きく影響していると見られます。
現在の社内における年間施行件数の目標は40件/年である上、当時はまだまだ一般参列者数も多く前夜式(通夜)を行うことが一般的でした。さらにR社本体の仏教その他の葬儀施行数もキリスト教部門には及ばないものの現在とは比較にならない数でしたから、当時人員が多かったとはいえ業務は多忙でした。
しかし急激な成長や多忙すぎる業務というものは人にとっても企業にとっても良い面ばかりではありません。特に営業成績の高さだけで言えば、途中からM氏は代表であるS氏の成績を大幅に凌駕していたのですから、人間心理としてM氏に対する遠慮も勝り、結果として会社としてみれば徐々にガバナンス不全に陥っていった、というのが残念なところでした(あまりここを細かく言うと、どうしても関係者の悪かった諸々の点を挙げていかざるをえないので、この程度に止めておくべきだと思います。この話を書くのに時間がかかっていることの多くは、内容のことではなくこの辺りの加減について思い切りがつかないことが問題です)。
なお当時はまだ業界全体の雰囲気としても職人気質もあり、体系だった学習訓練よりも現場で「見て覚える」ということが当たり前な風潮でしたが、当然うちもそういった学習訓練の機会は十分に持たれませんでしたし、理念の共有なども計画的に行われることはありませんでした。近年、若い子たちに対して私が学習訓練の時間を意識的に設けているのも、この頃の経験の反動ということです。