会社の事務用プリンターがずいぶん前に壊れて、遺影用プリンターで騙し騙しやってたのですが、さすがに会葬礼状など数を刷ると寿命が縮みそうなのでようやく日常用を新調しました。会社で使うとインクの使用も多いので、次に替えるときは大容量ボトル型にしようと思っていたため、印刷速度や背面からの厚紙(礼状台紙)給紙など総合的に考えてEPSONのEW-M873Tにしました。

 

 エコタンクというのは初めて使いましたが、充填もボトルの口を合わせてひっくり返すだけなので難しくなく、トプトプ鳴る水音が「あー、入ってる入ってる」と妙な納得感があって良いです。価格は6万円台と、家庭用として買うには結構高めですが、仕事で使うなら性能も考えてこんなもんでしょう。

 

 罠だったのは、初期設定のギャップ調整の印刷が…

 

 み、見 え な い … ! !

 

  年とったなぁ(´・ω・`)

 

 ダラダラしているうちに6月になってしまいました。そろそろちゃんと書き出さないと、間に合わなさそうです(汗

 

 この間の話の続きをかいつまんで言うと、整わない企業理念や労働環境に嫌気が差してきて私は退職しようと思ったんですが、同僚であったS氏の息子に自分も辞めたいぐらいだからせめてその前に社の改善に挑戦して、ダメだったら一緒に辞めようなどと言われ、どうせ辞める前だからと開き直って企業改革を進めたら、今度はM氏のほうが自由にできなくなったことに苛立って退職し自分で会社を作るという、ドラマのテンプレみたいな流れに。辞める気でいた上に当時まだ若輩の私はM氏と競争したところで勝てないだろうから、もう他人事のように思っていたのですが、S氏の息子らがこのままでは悔しいからダメで元々なんとかやってみたい、頼むから協力してくれと慰留され、お世話になった手前「どうなっても知りませんよ」と言いながらキリスト教部門を担うことになりました。背水の陣でしたから怖いものもなく、一通り自分のやりたいようにやってきたのですが、多くの人に助けられ支えられながらなんとか今日まで続いてきた…という流れです。

 

 まあ事細かに書くといつになっても終わりませんので、当初の想定通りこのへんはあんまり触らず、お世話になった方々の紹介と謝辞に重点を置いていきたいと思っています。それにしても仕事も縁のもの(仏教的)と言いますが、M氏が独立しようと言い出さなかったら結局私は会社に残らなかったに違いないわけで、人生なにがどう転ぶかわからないものですね。

 当初、事業は順調に拡大していきました。いやむしろその成長は著しく、急激に発達していったと言っても良いかもしれません。97年には13件だった年間施行件数は、98年に24件、99年に43件と倍々に増え、その後00年36件、01年49件と横ばいの期間を挟むものの、02年には62件、03年には65件と増え、ピークとなった04年には98件を記録します(05年81件)。

 

 その原因は複合的なものだったでしょう。M氏が日本ではかなり古参の部類に入る4代目ほどにもなるクリスチャンホームに育ち、教会社会に知己が多かったことや、教会コミュニティに関わっていくことに物怖じがない性格であったこと、また当時プロテスタント系の葬儀社で目立つものはそれ以前に勤めていたパイオニア企業ぐらいしかなく、競争が少なかった中で価格面などで不満を抱いていた教会人も少なくなかったことなどが大きく影響していると見られます。

 

 現在の社内における年間施行件数の目標は40件/年である上、当時はまだまだ一般参列者数も多く前夜式(通夜)を行うことが一般的でした。さらにR社本体の仏教その他の葬儀施行数もキリスト教部門には及ばないものの現在とは比較にならない数でしたから、当時人員が多かったとはいえ業務は多忙でした。

 

 しかし急激な成長や多忙すぎる業務というものは人にとっても企業にとっても良い面ばかりではありません。特に営業成績の高さだけで言えば、途中からM氏は代表であるS氏の成績を大幅に凌駕していたのですから、人間心理としてM氏に対する遠慮も勝り、結果として会社としてみれば徐々にガバナンス不全に陥っていった、というのが残念なところでした(あまりここを細かく言うと、どうしても関係者の悪かった諸々の点を挙げていかざるをえないので、この程度に止めておくべきだと思います。この話を書くのに時間がかかっていることの多くは、内容のことではなくこの辺りの加減について思い切りがつかないことが問題です)。

 

 なお当時はまだ業界全体の雰囲気としても職人気質もあり、体系だった学習訓練よりも現場で「見て覚える」ということが当たり前な風潮でしたが、当然うちもそういった学習訓練の機会は十分に持たれませんでしたし、理念の共有なども計画的に行われることはありませんでした。近年、若い子たちに対して私が学習訓練の時間を意識的に設けているのも、この頃の経験の反動ということです。