素敵な明日を願ってる -2ページ目

素敵な明日を願ってる

悩んでも後悔してもなにも変わらないから、前だけ見るんだ

私は難治性の強迫性障害のようです。

医師に言われました。

 

そりゃそうです。幼少期からありましたし、診断を受け薬飲み始めて20年。

 

普通は治らないのでは?と考えてもおかしくないのかもしれない。

 

でも私はバカなのでうまく強迫症状を医師に伝えることが薬だけでなく、

こういうとき、こうしたら気分転換できるんじゃない?ってアドバイスをもらえると思ってた。

 

 

もしアドバイスできるものが医師にあるのならとっくにアドバイスがあるはず。

きっと自分の毎回の診断で時間がなくてうまく1割も伝えられない、説明が下手というだけではない気がしてる。

今になってそう考えるようになった。

 

答えのない問題、現実を変えようのない問題に答えはないのだ。

それに自分は気づかなかった。生まれてからずっと。

 

 

しんどいとき答えを見つけ楽になろう、そういう思考で今までやってきた。

この生まれて以来こういう物の考え方しかしてこなかった今、強迫にとらわれたとき、新たな対処法も見つからず。

 

そもそも答えがないから思考でどうにかするものでもない。かといって放置していても何も手につかない。

やろうと強迫観念から離れ、今すべきことに集中しても何をすべきかわからない。無理して行動すると無理してる感が強く、

考えらてないのに行動すると、フラットな自分と違い、目的意識がはっきりしてないので、不安の中で物事をしてる感じ。

強迫から離れ今すべきことに集中しようという意識ばかり先行し、すべき対象に集中できてないから何をしたらいいのかわからない。

それでもしないと前へ進めないから、すべきことをすると気が動転したまま物事をやっている感じとでもいうのか、

不安で仕方ない。目的意識もないまま今することをするというのは不可能に近い。ミスも増えるし、不安を打ち消しながら、今はこうだから集中しなくちゃという今すべきことに不要な思考を消しながら作業するのは非常にくたびれる。その割にぜんぜん進まない。

 

フラットな自分はしたいこと、すべきことを、自然にこなしている。そこには意識はしてなくてもすべき目的目標があり、

それを自然にこなしている。

 

服を着る、布団から起きる、文字を書く、なんでもそうだ。

 

強迫のときもやるべきことはわかる、だがそれに向かうとなんだか不安であったり、ミスした感覚がつきまとう。

結果、気にしてた強迫観念を考えてしまったり、今してたことの不安はなにが不安だったのかと思ったり、

ミスした、フラットなときは感じない違和感を感じ、例えば着た服をもう一度脱いで着なおしたくなる。

とても疲れる。着なおしたところで無理してやってるうちは不安だから不安なまま服を着終わるから、気持ちが悪い。

 

かといって、何度も繰り返してが強迫行動になってしまう。なので我慢して次へ進むが、不安なままし続けるから永遠に

心の疲労は続く。そのままやり続けられるほど自分は猛者ではなかった。服をきたら何をすべきか考えなくてはいけない。

その次も、その次も。不安だからかこれをして正解なのかという迷いがつきまとい、Aをしてみる、Bをしてみる、C、D、やはりAが

いやBが.....限りもなく迷いがひどい。そして自分は疲れ果て不安になりながらやるのは無理と放棄する。

 

ぼーっとする。ときには布団に倒れこむ。

昔はいろいろあった駅の柱にへたれこんだり、道路にすわりこんだり、それでも自分はダラダラしてるだけでどこも悪いわけじゃないオーラを出す。心配して声かけてくださった方にも大丈夫ですと答える。大丈夫じゃないとしても救急を要すものじゃないし、どこか休むベッドにいくと楽になるわけでもない。とにかくその場で落ち着くまでじっとしていたい。行動ができなくなってるのだからその場でやり過ごすしかない。

 

今思えば自分の人生ずーーーーーーーーーっとその繰り返しだった。

なんてもったいない、実のない人生なんだ。

そこへ難治性と言われた。涙がでた。

いつかよくなると信じてたから。

 

不治ではない、可能性はあると思うが、難治だ。治癒するのが難しいってことだ。

強迫性障害と向き合って、それも受け入れて生きていかねばならない。

 

 

ずっと自分はこうなはずなのに、を続けてきた。20であの内科に行かなければ、大学病院行かなければ、~~~しなければもっといい人生を過ごせていたはずだ、と。そればかり考えていた。どっちにしても強迫なってたのかなと思うことも多少はあったが。

現実にもう20年以上治癒していない。過ごせていたと思っても過ごせていない。それが現実なのだ。

 

それを私は受け入れてない事を医師に指摘された。

その通りなのだ。こうでなければ、ばかり考え、今この状態とどう向き合うか考えて来なかったのだ。

何十年考えてこなっかたことを、たった2週間程度考えたところでなにもわからない。

 

 

あ~あ

フラットなときなんの迷いもなく、服着たら、無心ではいこれしてー、次これしてーとその日その時の気分でやっていること。

確かに迷いもある。靴下どれにしようかな~、ん~、これにするか。という、ごく自然な迷い。そこに苦しみはない。

 

 

強迫なったら、強迫無視して行動しようとしているのに、行動できない。なぜそうなるのかは考えても答えはでたことがない、考えれば考えるほど苦しみばかり。休んでフラットになるか、たまたま無視して行動してるときその今すべきことに集中できたときだけかな。集中というよりその物事に対してフラットな気分にいつのまにか戻ったときというのが正しい気がする。ごく稀だけど。

 

でもそれはごく単純で、泣いてた赤ちゃんが”いないいないばー”でころっと笑うかのように、

人に話しかけられた、ふと我に返る、そんな感じだ。

あとはそのまま、その流れに乗ってやるだけ。良くないのは強迫についてなんでかまた考え始めたり、なぜ強迫になるのか?なぜ些細なきっかけで戻れるんのか?是非とも理解して今後起きたときのために対策をしたいと考えを巡らすこと。

 

答えはでないし、逆にまた不安の渦に巻き込まれる方が大多数だ。

なんとなくよし分かった!と悟った気分になることもある。

フラットなときもこうすればなんて思いつくこともある。

 

しかし長続きしない。その思考を忘れるからか。(そんな人生の良し悪しに関わること忘れるものなのか。。)

それとも強迫には意味も答えもないから、解決策などないからか。

 

きっと高所恐怖症の人がなぜ怖いのか問うても答えはないだろう。

高いところが怖いから他ならない。解決策思考しても、恐怖には勝てない。

だからといって一生そうなのかと言えばそういう人もいるだろうし、ふと気が付いたらなんでもなくなった、なんてこともあるのかもしれない。

 

私はこどもの頃、学校で給食がのどを通らなかった。周りから見られる緊張、家のもの以外見たことものが食べられない性格。

野菜は食べられない。肉しか食べられない。食べるのが遅くて迷惑かける恐怖、残すといろいろな方面から言われる恐怖。そんなんじゃ給食美味しくパクパク笑顔で食べれるはずもない。それが今は早すぎだろ!って言われるほど美味しくいただく。

 

そこに思考とかない。理屈もない。気が付けば治ってた。

 

 

だから今は理屈じゃく起きる不安とどううまく付き合って生きていくべきだろうということを考えている。

前向きに考えたところで病気が緩和するわけでもないが、向き合っていかねばならぬと思っている。

 

 




NHK ソリトンSIDE B

憧れた坂本龍一さん。同じ1月17日生まれ。

この頃の教授の歳ぐらいに自分もなってしまったな。
まだまだずっと先の未来だと思っていたのだけど。


同じ誕生日だから、これは運命。なので自分も天才だと思っていた。今思えば、とんだ勘違いでしたわ(笑