我が家の息子二人は、サッカーとアイスホッケーをやっていますが、アイスホッケーのシーズンが今日で終わりましたニコニコ


タウンのサッカーは、秋と春(冬はお休み)、アイスホッケーは、秋から冬にかけて半年間のシーズンです。


パパ曰く、長かった〜ショボーンと言ってましたショック

送迎がね、、、やっぱり大変でアセアセアイスホッケーは相手チームのホームゲー厶なると遠くってガーン


長男はサッカー2チーム(タウンチームとクラブチーム)にアイスホッケー、次男は、サッカーとアイスホッケーで、平日の練習と土日にそれぞれ試合があり、兄弟で試合が重なったりすると、お互いどう送迎で動くか考え、時にはお友達にカープールしてもらったりと、まぁ大変でした🥲


アイスホッケーのシーズンが終わって大分楽になります照れ


そしてアイスホッケー、2週にわたりシーズン最後にトーナメントマッチがあって、今まで戦ってきたリーグ戦の全8チームでトーナメントの戦いです!負けたらそこでシーズン終了となります。次男は先週、一回戦で負け、終了えーん


長男のチームは、今季リーグ戦、3位で終了したのですが、先週、一回戦勝利し、昨日(土曜日)はランキング2位のチームに勝利爆笑爆笑爆笑

今日(日曜日)は決勝戦でした。ランキング1位のチームと対戦キラキラキラキラ


みんなで応援に行ったよチュー

そしてなんとなんと、劇的勝利したのですーーー笑い泣き笑い泣き笑い泣き

胸熱の試合でした😭


親の応援団も声援もすごかった爆笑DJみたいなアナウンスや音楽も入ってて、The!!アメリカ😳大盛りあがりでした爆笑


どちらのチームも点を決められたら、取り返す、という攻防戦。1点リードで迎えた最終クォーターでは、最後の1分で相手チームにゴールを決められ、3-3えーんに追いつかれる。でも最後の14秒で見事なパスワークからのゴールキラキラキラキラ笑い泣き


試合終了の合図を聞いたときにはもう泣きました😭

本気同士のぶつかり合い。氷上の熱い戦いに感動してしまった。


アイスホッケーって面白い!!チューみんなカッコいいラブラブ

私も生まれ変わったらアイスホッケーやりたいおねがい




試合終了の合図とともに抱き合う姿…お願いみんなで勝利を掴みとった瞬間…。

みんなおめでとうーーー。

感動をありがとうー爆笑

やっぱりチームスポーツっていいなおねがい


ゆうもよく頑張った!!半年間お疲れ様ウインク

春から、タウンのサッカーリーグが始まったね!大好きなサッカー頑張っていこー爆笑


今日はお寿司寿司でお祝いだ〜爆笑


4月になりました~~。

日本の桜が恋しい季節です。

 

我が家の長女はいま8年生。

この6月でミドルスクールを卒業、そして秋(9月)からハイスクール、高校生です。

ミドルスクールもあと2カ月半で卒業。

なんだか早いな~~~。もう高校生になるなんて。。。

我が家、日本語学校に通っていないので、小学校の卒業式や中学校の入学式などしておらず、あまり実感がなく真顔

いきなり高校生になるような感覚あせる

 

昨日は、娘が通う予定のハイスクールで説明会がありました。

ミドルスクールでも、ハイスクールへ向けてカウンセラーの先生との面談があったり、ハイスクールの授業を選択したりとバタバタしています。

アメリカの高校って大学みたいあんぐり

選択科目の数と種類の多さが半端ないびっくり

IT系、サイエンス系、メディカル系やアート系など140ページにわたるコースカタログ、、、どうやって選択していくのかさっぱり分からないゲロー大学進学に向けてのコースの取り方なども書いてありました。

 

すごいな。アメリカの高校って。。。

将来やりたいことが決まっているような子たちには、高校生からその分野を学ぶことができて素晴らしいな~と思いました。

 

芸術系も様々なコースがあって。アートや演劇、ダンスなどたくさんあって、楽しそう飛び出すハートアメリカのハイスクールを嫌がっていた娘も、アートの授業どれにしようかなーひらめきと意外と楽しそうに選んでおりましたニコニコ

 

アート系の選択科目も色々とあって、Digital Drawing、 Digital Design、 Animation、 Film、Photographyなどなど他にもとにかく色々ありすぎて驚きComic Booksなどもあったな。

Documentary Filmmaking というコースもあって、インタビューのテクニックやカメラ操作、音声、照明、編集のテクニックを学ぶみたいなことが書いてあった凝視映像制作会社で必要とされるような技術を身につけるって。

すごー-いポーン 高校の授業でそんなカリキュラムがあるなんてうらやましい!

娘も将来、アートに携わる仕事をしたいと考えている様子。絵のお仕事といっても色々あるからね。

高校で色々なことに挑戦して、興味がある分野を見つけながら将来に繋げていってほしいなって思います。ニコニコ

 

渡米して6年目。当時娘は3年生・長男1年生・次男プリスクールでした。

 

先日、娘のELL(英語以外を母国語とする生徒のためのクラス)の先生から連絡があり、ELL卒業して、2月のバケーションウィーク明けから、通常のクラスで授業を受けたらどうか、というお話がありました。

 

娘は、現在、ELA(日本でいう国語のクラス)の授業をELLでサポートしてもらっています。他の科目は現地クラスの子たちと一緒に授業を受けています。

 

実はSocial studiesのELLを卒業したのが12月で、この年明けから、通常のクラスで皆と受けているのですが、まぁ…難しいらしくって悲しい

とにかくついていくのに必死みたいです…。

 

なので、、、

娘はELLを卒業することをかなり嫌がっていて、ELLの先生は5年生からお世話になっている先生で、少人数のクラスで授業を受けれるELLのクラスは娘にとって居心地がよかったようで。。。

 

先生が娘に話しても、娘は、嫌だ〜えーんと言っているようで心配しておられました…。

ライティングの力もついているし、高校へ向けてこのタイミングでELLを卒業するのが良いと思うとのこと。

どうしても難しかったらまたELLに戻ってきてもいいよ、と言われ娘も決心した様子。

 

そして娘も完全にELLを卒業しました。

下の息子二人は、2年くらいでELLを卒業していますが、娘は性格もあると思いますがゆっくり時間をかけてここまできました。

 

私が家で英語の勉強や発音の練習をしていると、娘がたまに発音や言い方などを見るに見かねて凝視教えてくれますが発音のキレイなことびっくり

娘は全く家では英語を喋らないので、英語を喋ってる姿を見たことがありませんキョロキョロ

なのでどのくらい英語を喋れるのかよく分かってなかったのですが、普通に喋れるんだなーと凝視当たり前や笑い泣き

 

姉弟3人、性格もバラバラで、長男と次男は家でも兄弟間は英語でしゃべったりしているのを見ると性格的にも長男が一番英語の上達が早いのかなと感じていたけれど。

 

長男は日本語に難ありで泣

長男、語彙力がないせいか、とにかく説明ができない。日本語で悲しい

もはや日本語でも英語でも長男の言ってること理解できないーーー。驚き驚き驚き

 

1年生で渡米しているから、日本語が弱いし、長男が5年生のときに担任の先生から、日本語で論理的に作文を書くことができるのか?と言われ。ガーン確かに。それできない…ガーン

 

やはり母国語ってすごく大事で、母国語の基礎が養われていないと、英語でもライティングは結局は伸びないし書けないということで。

土曜日の日本語学校はサッカーやアイスホッケーの試合で行けないので、国語のTutorさんにお願いしてグループレッスンをしてもらっています。プレゼンテーションは得意のようだけど、作文になると。。。。不安書いてることが浅すぎるーーえーん

 

それを思うと、娘はバランス良く姉弟の中では一番バイリンガルへの道を歩んでいるような気がします。

高校を卒業したら絶対日本に帰ると決めている娘からしたら英語よりも日本語が重要なわけで、娘は日本に帰ったら英語なんて絶対に使わない大学や職業を選びそう。。。チーン

それはそれでどうなんだろう…とも思うけども悲しい

 

そして次男はというと、、、これまた本当に自由人の次男。末っ子だから?

人懐っこく楽天的な性格で、分かってなくても分かったふりをする。というか分かってないことが分かってない。。。?不安

 

毎年、ELLのクラスの子は、英語がどれくらい身についているかのテストを行うのですが、未だ合格点はとれず、、、ガーンでもELLのクラスは卒業させてもらっています。(合格の点数がとれてなくても、担任の先生やELLの先生と相談して許可がでれば卒業させてもらうことができます)

 

ちなみに長女は合格点とれてるけど卒業せず、長男は合格点とったと同時に卒業、という感じ指差し

 

次男はフレンドリーな性格で、日本人だけでなく現地の子たちともすぐ友達になれるので、よりクラスに馴染めるようにELLのクラスは卒業させてもらったのですが、、、、

 

 彼のコミュニケーション力には問題ないのですが、勉強果たして本当についていけているのか、不安になってきました…滝汗

今年のテストで合格点がとれていなかったら、来年から、ELLのクラスに戻してもらうのもアリかなぁと。

 

次男は来年度5年生ですが、5年生からのELLの先生は、娘がずっとお世話になっている、宿題を鬼のように出す、と娘が言っている厳しくも優しい先生なので、その先生のもとで指導して頂けると有り難いなぁと思ったり。

 

姉弟みんな違って本当に様々ですが、日本語の勉強も現地の学校も必死に…本当に必死に頑張っています。

親子でバトルになろうとも、お互いに疲れ果てても…ゲロー

やるべきことはやる。やらせる。

 

日本でぬくぬく育った私は、帰国子女の方って英語しゃべれていいなーって簡単に思っていたけど、並々ならぬ努力やサバイバルをしてきた人たちなんだなって思います。本当に真顔

 

子供は前から引っ張るのではない。後ろから押して育てる。歩く

何かの本で読んだ言葉。

でも見守るってほんと難しい…ニコ

 

 

今日はハロウィンですね。そして日曜日!

今日の夕方予定されていたアイスホッケーの試合も、前倒しで金曜日に変更になったので、夜はフリーになった子供たちニコニコ


そしてうちのタウンは、明日は学校お休みなので、子供たち思う存分Trick or treatを楽しめるという…爆笑


お姉ちゃんは、お友達のお家でお菓子パーティーピンクドーナツドーナツマカロンクッキー

からのTrick or treat〜。


Boys二人は、夕方お友達に誘わて、みんなで集まってピザを食べてからのTrick or treatに出かけ😊


パパも下の弟について回っているので、今は私一人でお家にいますウインク


一人の時間を満喫してますニコニコ私も一緒に回ればいんだけど、、最近、心が少し弱り気味で、お家でのんびりニコニコお迎えに行くときちらっと回ろうウインク


なんだか子供たち、やっとアメリカ生活に慣れてきたというか、1番心配していた長女に関しても、お休みの日に一緒にお出かけしたり、ハロウィン🎃パーティーするお友達ができて、辛いアメリカ生活の中でも、彼女なりに楽しんでいる様子…😭😭

それが1番嬉しくて…おねがい


もう中学2年生だもんね。

本当によく頑張ってるなって。。。ショボーン


今、娘、学校でちょっとしたトラブルに巻き込まれていて…ゲロー

朝、学校に行けなくなってしまったりショボーン学校のELの先生やカウンセラーの先生にも入ってもらって対応してもらっています。


私も色々人間不信というか…弱り気味…ショボーン

でも娘のことは絶対に守らなきゃ!

私は誰に何と思われてもいい。

ぎりぎりのラインで頑張ってる娘、子供たちに寄り添ってサポートするために私はいるんだから。


と、自分に喝を入れてプンプン


がんばります真顔


家に帰ってからの…お楽しみタイム〜爆笑


虫歯になるよ…こんなに食べたら滝汗



長い夏休みが終わって、新年度がスタートしました。

長女は8年生、長男6年、末っ子は4年生です。

でも月曜日はLabor Day、火曜日は何か知らないけど学校お休みで今日から4連休滝汗

 

夏休み最後の日が長男・ゆうの12歳のお誕生日だったので、でも夜までサッカーの練習があり、翌日から学校なのに、夜遅い時間のお祝いになりました笑い泣き

 

ゆうは、去年からタウンのサッカーチームだけでなくプライベートのサッカーチームにも入り、秋からアイスホッケーも始まり、もう大忙しなんですがガーンミドル(6-8年生)になると宿題もかなり多くなるのに、やっていけるんだろうか。。。?と心配になります。

 

去年からやっているプライベートのサッカーチームは、タウンのサッカーチームより、さらにうまい子が多くて、ゆうは一番下からのスタート。チームの子たち、とにかく身体が大きいし、足早いし、ゆう、、、びっくりこのチームのトライアウト、よく受かったなーというレベルですよ。

でもアメリカのサッカーのいい所って、下手な子でも試合に出してくれるんです!!!おねがいチーム全員を使ってくれるから、本当に有難い照れ

下手なことすると、すぐ代えられていたけどキョロキョロ

 

ゆうは3年生からサッカーを始めたから、余計に試合で学ぶことも多くて。最初は見ていられないレベルだったけど。。。滝汗大雨の日でも欠かさず練習に行き、一人でも走ったり、ひたむきに練習する努力が実を結んでいるのか、かなり成長しましたおねがい

 

そんな中.....そのプライベートのサッカーチームのFacebookにゆうの写真がアップされていて.........!!!!びっくり

ダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウン上差し

 

 

“Successful people are not gifted. They just work hard, and Then succeed on purpose ”

 

というメッセージと共に.........びっくり

〈才能がある人間が成功するわけではない。ただ一生懸命に努力をして自分の力で成功を掴み取るのです〉

 

これって、これって、、、、ゆうの写真が使われているのって偶然??それともゆうのことを言ってるの.........???

 

偶然にしてはできすぎでは??パパと二人でジーンと感動してしまって。。。。

 

パパが試合を観に行っているのですが、最初はポジショニングや動き方が全く分かってなくて、「そんなとこにいても意味ないだろう!?お前はパスをもらう気があるのかムキー」とよくパパも試合が終わった後ゆうに怒っていました。。。滝汗


パパが思うくらいなんだから、コーチだって絶対思ってるはず。

それでもコーチは根気強くゆうを試合で使ってくれて、、、、

そのおかげで成長した部分が大きいと思う。。。

 

もしゆうの写真を意図的にこのメッセージと共に使ってくれたのだとしたら、、、出来ていない部分もだめな部分も全て分かっていて、試合の中で指導してくださり、伸ばしてくれたんだなと。コーチには感謝しかありません。チームの中で成長させてくれて本当にありがとうございます。えーんえーんえーん

 

ゆうは穏やかで優しい性格ですが、サッカーではそれはマイナス面。人に遠慮なんてしてたらダメだし、もっとアグレッシブに、攻めていけとか、普段とは真逆のことを言わないといけなくて、、なんだかなぁと思ったり。

 

でも自分がやってきた努力が人に認められるってホントに報われるとういか。これ、ゆうの誕生日の前日にアップされたので、プリントアウトして誕生日プレゼントと一緒にサプライズでゆうに渡しました爆 笑

ええ~!?って少し照れていたけどニコニコ嬉しそうにしていました。

 

ゆうくん、12歳のお誕生日おめでとうラブラブ努力は実を結ぶんだって教えてくれてありがとう。あなたを見ているといつも教わることばかり。

素直な心で真面目にコツコツ努力することができるのはあなたの強みだよ。いつも応援しているよ爆 笑

 

去年はベンチだったけど今季はスタメンからスタート!!爆笑

 頑張れ頑張れキラキラ

 もちろん今日も試合です!


長い長い夏休みに入り、子供たちのサマーキャンプも始まりましたニコニコ今年は、ほぼ通常通り。

ワクチン接種もすすみ、マスクなしの人がほとんどです。

下の男子二人はサッカー⚽キャンプ、上の娘はアートキャンプに行っていますウインク

 

娘は、来年度(9月)から8年生、日本では中学2年生なのですが、アメリカ生活に未だ馴染んでいませんショボーン渡米した頃から変わらず、今も日本に帰りたいとずっと言い続けています。

 

昔から内気で人見知り、場所見知りな性格で、気難しく、保育園や学童など新しい場所でなかなか馴染むことができなかったのですが、ここアメリカでは馴染む気持ちもないようで…ショボーン

 

アメリカに来た当初から、今でもずっと現地校では日本人のお友達とずっと一緒にいます。だいたい1年〜2年でみなさん帰国されていく家庭がほとんどで、入れ代わりが激しい地域に住んで入るんですが、ラッキーなことに娘の学年は誰かしら日本人の女のコがいて、日本人のお友達とずっと一緒にいます。

 

我が家は駐在ではなく、夫がこちらの現地の会社に就職しているので、長くアメリカで暮らすことになることは分かっていました。なので現地の子たちの輪の中にも入っていかないと!と思い、色々現地の子をプレイデートに誘ってみたり、習い事に通わせてみたりしたのですが…

 

結局、日本人のお友達以上に打ち解けられるようなお友達はできなくて。

 

彼女からしたら、辛いアメリカ生活の中で、彼女が唯一、自分が自分でいられる場所が日本人のお友達といる時なんだなぁと気づきました。英語で喋らないといけないお友達とは、5年経った今でも自分の気持ちをうまく伝えられない、心の底から笑えない、素の自分を表現できないみたいなんですよね。

 

アメリカで楽しいことなんて何もない、アメリカ人の友達なんて作れない、日本に帰っていくお友達を何人も見送りながら、私も帰りたい…ショボーンと言う彼女…


でもあなたはこんなにもここで頑張っているのにショボーン嫌だ嫌だと言いながらも、勉強も学校の課題もビオラの練習もスポーツも必死に頑張っていること、知っているよ。

 

日本がとても素晴らしい国なのは分かっているし、日本に帰ってお友達のように普通に中学生活を送りたいという気持ちも分かる。でもアメリカにも素晴らしいところはたくさんあって、いろんな人種の方がいて、色んな文化を知ることができて、親の都合で渡米したとはいえ、頑なに拒絶するのではなくて、もっと楽しもうと思えばいいのになぁ、今の経験が将来自分の大きな財産になると思うのに…ショボーンでも、今を一生懸命生きている彼女にとったら、私の気持ちなんて、親のエゴでしかないんですよね。。。きっと。

 

アメリカに来たことが、娘にとって良かったことなのか、、、正直分かりません。娘だけ日本の高校を受けさせることも少し考えたり、悩んだりしていますショボーン

 

そんな娘なのですが、一つだけ他の人よりも得意なこと、大好きなことがあります。それが絵を描くこと。

学年末の学校のArt Show(全生徒がArtの時間に作った作品を一つ展示して保護者が見れるようになっています)、保護者や生徒が特に良かったと思う作品に投票できるのですが、彼女は学年(7年生)のBest Showに選ばれたんですおねがい投票で!!

 

スケッチブックと色鉛筆の賞品付きニコニコ

 

絵を描くことが彼女のストレス発散になっているようで…ニコ勉強の合間に描いたり、夜中まで描き続けていることもあります😨

 

大好きな鬼滅の刃も、今や何も見てなくても完璧に描くことができるというびっくり

 

 
 
 
黒板にまで…キョロキョロ

 

今、MFA(ボストン美術館)のサマーキャンプに参加しているのですが、そこでも鬼滅の刃ダウンダウン彼女が描いた作品。

 

 
初めての場所で娘が初日から、楽しいと言ったのは初めてかもおねがいおねがいおねがい(日本人いないのに!!)
 
MFAのteenagerクラスに参加していて、高校生が多いみたいなんだけど、みんな絵が上手くて、色々刺激を受けているみたい。日本の漫画やアニメが好きな子もいて、(先生も好きらしい爆笑)鬼滅のキャラクターを描くと、みんなからすごい!って言われたよ!みんな絵がすごく上手い子ばかりなんだよ!と嬉しそうに話してくれました。
 
そっか…娘はこっちの道だったんだ…照れ照れ照れ
 
自分に自信がなくて、でも完璧主義で、努力しないわけではないけど、何となく無気力な、後向きな性格な娘。もっと自信持って!と励ましても、私なんて…ショボーンという彼女…えーん

でも彼女が輝ける場所、見つけた気がした。彼女自身それに気づいたみたい。

将来、どうかどうか彼女が希望あふれる道に笑って進んでいけますように…🥺
 
MFAのサマーキャンプものすごくお高いんだけどね笑い泣き

 

今日は母の日!

我が家は今からアメリカでも公開になったキラキラ鬼滅の刃を観に行ってきます爆  笑

私以外の家族は、実は日本に一時帰国したときに映画を観に行っていて。。。

私だけ観てないえー

 

私、その時はあまり興味なかったのだけど、子供たちがハマっていて、母が病院から家に帰ってきていたときに漫画を読んでハマり、そんなに面白いのかとアメリカに戻ってきてから漫画を読んだら・・・見事にハマりましたーーーーえーん

 

心に刺さるのね、色んなシーンが。。。いろんな言葉が。。。

 

アメリカの図書館でも日本の漫画(英語翻訳されたもの)が色々置いてあるんですが、鬼滅の刃も英語版「Demon Slayer」というタイトルで貸し出しされていて、英語版鬼滅の刃も借りて家族みんなで読みました爆  笑

いや、でも私には表現が難しくて英語版読んでると、やっぱり日本語で読みたくなりますべーっだ!

社会現象を巻き起こすような漫画、やっぱり理由があるんだなと思いました。

 

というわけで、私が観たい観たい!!とお願いしたら子供たちももう一回観たい観たい!と言い出したので、母の日だし?ニヤリみんなで観に行ってきますラブラブ

アメリカは、映画館によって値段が全然違くて、大人1人21ドルってとこもあれば(ここは子供も21ドルだった〜ガーン前方の席にすると18ドルになってたな…ニコ)、9ドルってとこもありびっくり子供は7ドル。

でも普通にリクライニングシートとかになっていて快適にみれますニコニコ

久しぶりにお出かけするな〜。

 

母の日。

たまにふと母を思い出しては淋しく感じることもあるけど、、、


母が他界してから、なぜか無性に日本に帰りたいって思いが強くなって。一時帰国とかじゃなく、もうアメリカ生活やめたい。日本で暮らしたい。日本に帰りたいって。

今までこんなこと思ったことなかったのに。

なんでだろう?日本に帰ってももう母はどこにもいないのに。

誰かこの心理、読み解いて~~。

 

子供の頃の私と祖母と母と弟

祖母は父方の祖母だけど、2人とも気が強いんだけど、本当の親子みたいに仲がよかったな。

すごいな、私にはムリっ笑い泣き


親子三世代から・・・

 

二十数年後下差し

 

親子4世代へ照れ流れ星(恥ずかしいので私の顔は隠しております)

二人とももう今はいませんが、今でも私の一番尊敬している祖母と母。大好きな二人。

 

写真に写っているのは一番上の娘です。9ヶ月くらいかな?ニコニコ


思えば、上の娘が生まれる前日に母が倒れて、ガンが見つかったんですが、大変だったな…。

医師から母の病名がガンだと告げられ、私そのショックで産気づいたと今も思っているえーん


私も初めての出産で、私は私で産後色々あって、なんと私も手術になり。母もガンの手術やら治療で。

辛かったなぁ。でも母にとっても私にとっても、娘が産まれてきてくれたおかげで頑張れた部分が大きくて。この小さな命のおかげで色んなことを乗り越えられたんだと思います。


あれから13年。

一度は母のガンも完治して、仕事にも復帰して私たちが渡米するまで穏やかに、楽しく一緒に過ごせたこと、私たちの渡米後に母の再発が見つかり、私たちや孫のために闘病生活を頑張って生きてくれたこと、母の強さはずっと忘れません。


迷ったとき、悩んだときいつも私にとって母が道しるべだった。普通に反抗期もあり、母を困らせたことも泣かせてしまったこともたくさんあった。

でも常に、母の優しさや強さに包まれていたと思います。

私も母のように強くありたい。全然ダメダメだけどショボーン


きっと神様がくれた時間だったのかな。

お母さん、おばあちゃん、私も1日1日一生懸命生きてるよーーー爆笑

アメリカの片隅で笑い泣き


今日は、夕方から明日のお昼にかけてSnowstorm予報…明日の子供たちの学校は、全てリモート授業に変更になりました。

車を駐車場に置きに行って、家までの帰り道、吹雪の中トコトコ歩いていると、ふと母のことを思い出した。不思議な感覚…グレーがかった空を見上げたら、雪が顔にあたって冷たい。もう母に話を聞いてもらうこともできないんだなって思うと急に泣きそうになったショボーン


雪雪の結晶雪雪の結晶雪雪の結晶雪雪の結晶雪雪の結晶雪雪の結晶雪雪の結晶雪雪の結晶雪雪の結晶雪雪の結晶雪雪の結晶雪



退院してからの1週間は、病院で直前までうっていた点滴が効いていたのか、訪問看護師さんも驚くくらい元気に回復していて、家族皆で本当に穏やかで楽しい時間を過ごすことができました。


不思議なことに、痛みが全くない日もあったようで、痛みが0の時なんて今までなかったのにって母自身も驚いていました。


私もたくさん母とお喋りして、笑って、、、一緒にテレビを見て。

どの女優さんが一番美人だとか、あんこ派かクリーム派か、(ケーキ大好きな母は生クリーム派だと思っていたら、まさかのあんこ派でビックリしたびっくり)なんて他愛もない話をずっとして…弟のほつれたズボンまでベッドの上で縫っていたおねがい


余命1ヶ月とは思えなかった。まだずっとこうやって春まで、夏まで…生きてくれていそうな気がしました。


子供たちとも鬼滅の刃トークをしたり、一緒にお寿司を食べたり、子供たちが足のマッサージや、背中をさすってあげたらとても喜んでいて。。

私自身、そんな時間が過ごせて嬉しかった。


私たちが、アメリカに戻る前日、母は病院に戻りました。母が幸せだった〜と言っていて。帰ってきて本当によかったと思いました。と同時に、ずっとずっとそばにいてあげることができなくて…ショボーンショボーンショボーンなんと親不孝な娘なんだろう…悲しみもこみ上げてきました…


母と病院で別れて私たちがちょうど病院を出たとき、担当のケアマネさんが走って私のところまで来てくれました。


「よかった〜!!間に合った!お母さん、要介護5になりましたよ!今役所に電話で確認してきちゃった!戻られる前に伝えたくて!!サービスも今よりたくさん受けられるようになりますよ!後は任せてね!弟さんと自宅介護ができるように私たちも全力でサポートしますから!!」


……なんで???

もう泣きましたーーーえーんえーんえーんボロボロと…

余命幾ばくもない母、そんな母をおいてアメリカに戻ろうとしている娘。

冷たい家族だと思われても仕方ないのに。。。


後は任せてねと言ってくれる。なんで?どうしてそんな優しい言葉をかけてくれるんだろう?ひどい家族なのに。母の人柄なんだろうか。

看取るつもりで帰ってきたけれど。

ごめんなさい ごめんなさい。一緒にいられなくて。最期の時間まで見送ってあげることができなくて。


そんなことを吐き出しながら…

私はケアマネさんの言葉に救われました。




帰ってきたのは自己満足?母のため?私のため?

結局帰ってきても自問自答でした。

でも看取ることができなくても、1日でも長く生きていてほしかった


お母さん、三途の川は渡れたかな…?

流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星

 

私たちが日本に帰ってから1週間後に、母も家に帰ってきた!

 

実は、退院する3日前くらいから、母の体調が悪化して(検査で脳転移が見つかる)嘔吐と頭痛で、起き上がれず。退院前日もそんな状態だったので、母は退院を諦めたそう。「生死を彷徨ったわ~」と後日言っていました。でも先生や看護師さんが脳浮腫や脳圧を下げる点滴をしながら、「ご家族がお家で待ってるよ!!絶対に退院させてあげるから!!一歩でもお家に帰してあげるから!!」とみんなが励ましてくれたみたいで…えーん

 

ちなみに、自宅の目の前に病院があって、さらにその病院には訪問看護STもあるので、もうね、本当に助かりました。弟もずっとリモートワークなので、お昼休憩中に行って戻ってこれる距離ニコニコただコロナ渦で面会時間が13時〜16時ゲロー平日は行けない…と言ってましたねショボーン

 

退院当日は、直前まで脳のむくみをとる点滴をして、看護師さんや先生に付き添われながらストレッチャーで母が病院からでて来たときには、もうみんな泣いてました。。。えーん

私も「お母さん、お帰り」と言いながら泣き。

後から担当のT先生も、「よかった!間に合ったーーー!」と病院玄関まで走ってきてくれて、「お家でゆっくり過ごしてね。何かあったらすぐ連絡してね」と母に声かけてくれて。。私こんな優しいお医者さま、初めて出会いました。。。。緩和ケア病棟の先生はみんなこんなに温かい先生なのかな。

 

緩和ケア病棟のスタッフの方々をはじめ、訪問看護師さん、介護申請など全て引き受けてやりくりしてくださっているケアマネさんなどたくさんの人たちが関わって下さっていて、母をそして私たち家族までを全力でサポートして寄り添ってくれている…。もう本当に感謝しかありません。日本に生まれて、、、私は今アメリカに住んでいるけれど、ここが帰る場所で、帰りたいって思える場所、国があって幸運なんだなって心から思いました。スタッフの方々の仕事以上の、温もりや優しさにずっと感激しっぱなしでした。

 

家に帰ってきてからの母は、体調も良く食欲もあり、何より、介護保険でレンタルした介護ベッドに大喜び。「病院のベッドとは全然違うわ!」と喜んでいました。母は2か月ほど前から脊髄にも転移が広がり下半身麻痺になり歩くことができません。片脚は少し動かせるみたいだったけどでも、母は最後まで生きることを諦めていませんでした。


また歩けるようになったら、私たちがアメリカから帰ってこなくても退院して家で生活できるようになるから!片脚だけでも!と太ももにゴムバンドを通して、毎日足をあげたり下げたりしながらリハビリをしていたのです。「またなっちゃんやゆうくんやりっくんを抱きしめたいし!」ってえーんえーんえーん


母には余命のことは伝えてなかったのですが、本当に母は強い人だなと改めて思いました。


私たちがアメリカに戻るとき、母はまた病院に戻ったのですが、別れるとき「まだまだ頑張るからね!!」って私の手を握って言うんです。最期まで私のことを気遣って…ショボーンあの時の母の手の優しい温もりを私はずっと忘れることはないと思います。

 

 

続きます。

 

 

母の手はいつも温かかったな。私は冷え性でいつも手が、冷たい笑い泣き 

 

 

先日、母が旅立ちました。

67歳でした。


母のことを少し書きたいと思います。

昨年12月、3週間ほど家族みんなで日本に一時帰国していました。


母は2年半前から闘病中だったのですが、昨年11月に「余命1ヶ月、年は越せないかも」と医師に告げられたと弟から連絡がありました。

 

こんな状況の中、母に何かあってもすぐ帰ることができないと頭の中では覚悟していたのに、いざ余命宣告を受けると、涙がとまらず。。。

 

母は私がまだ日本で仕事をしているときも、子供に熱が出ると、母自身仕事で疲れているにもかかわらず、仕事終わりに子供の面倒をみに横浜から東京まで来てくれていた優しい母。「もーあんたは親使いが荒いんだから!!」と言いながらも孫の顔を見ると嬉しそうに面倒をみてくれる母。優しい笑顔。言わなくても私のやってほしいことを先回りにやってくれる。正直、パパと育児するより母と育児したい!ってよく思ったっけ笑い泣き大好きな母。

気難しい性格の長女も、私にはいつも反抗的だけど、母には昔からよく懐いていておばあちゃんっ子でした。(でも昔は母すごく厳しくて、私自身もおばあちゃんっ子だった笑い泣き)

 

母は常に、「子供のことを第一にね、でも旦那さんにも優しくね」と言っていました。


そんな母なので、自分のために私たちが帰ってくることを望んでいないことも分かっていました。

でも、最期の時間、子供たちと一緒に過ごさせてあげたい、でも…このコロナ禍の中、2週間隔離もあり、子供たちだって、大好きな日本とはいえ、また学校に行けなくなる、サッカーやホッケーだって休むことになるし、日本でどう過ごすの?それにもし自分たちが保菌者だったら??どうなる?


…もうなんかどうしたらいいのか、悲しみの中で何が正解なのか分からなくなっていました。

 

そんな中ある方が、

「子供の学校や習い事なんて後から見たら小さなこと。いまの自分の気持ちに向き合うこと。最期の時間を一緒にいてあげたいって思うなら、もうこれが最期なんだから。後悔のないように。私が背中を押すよ。」と言ってくださって…。

 

緩和ケアのスタッフの方とも電話して、帰ってこられるなら急いだ方がいい。今なら退院することもできるからお家でご家族で過ごせますよ、と。

 

みんなが背中を押してくれた気がしたえーん

私…母に会いに帰ってもいいのかな。母に子供たちを会わせてあげたい。一緒に過ごしたい。そう強く思いました。

色々悩んだ末、私たち一時帰国を決心。

母と家で一緒に最期の時間を過ごすため日本へ帰りました。

有り難いことに、時差14時間あるけれど、日本からリモート授業受けてもいいよと現地校の先生から許可を頂き、子供たち学校の授業はできるだけ出席させてもらいました。

 

続きます。



長女が描いたおばあちゃんと緩和ケアの看護師さんおねがいすごくよく似てるね照れ母の担当医・T先生が、「ん〜でもみんな10歳は若く描いてくれてるね〜ニヤリと言ってたらしい爆笑(母・談)