福岡春日お菓子教室
ハルヒジェノワーズ takakoです
春日市の自宅で
フラワーケーキやマカロンのレッスンをしています
私がなぜお菓子教室を開くことになったのか
これまでを振り返りながらご紹介したいと思います
お菓子講師をめざしたワケ
福岡春日お菓子教室ハルヒジェノワーズの
takakoです
現在教室では
◎フラワーケーキ 講師資格取得
◎マカロン コース
◎デコレーションケーキ レッスン
また
◎福岡天神のデパート 岩田屋本店の
カルチャースクール「学IWATAYA」の講師をつとめています
実は私
地域限定 ローカルTV局の
アナウンサーリポーターとして仕事をしています
これまでマイクを向けてきた人の数5万人
キャリアは30年です
色々な所で取材したり
インタビューをしたり原稿を書いたり
スタジオでMCを務めたりしています
私は長崎県生まれ
3人きょうだいの末っ子として生まれました
母が洋裁や編み物などが得意で
日が暮れるまで熱中して
モノづくりする姿を見て育ちました
私も影響を受け手作りが大好き
編み物 洋裁 刺繍 ビーズ
ミニチュア アクセサリー作り
そして…
小学生の頃から熱中していたのが
お菓子作り
なかでも特別な存在がスポンジケーキ
お店のような食感のケーキが作りたくて
来る日も来る日も挑戦していました
しかし 一生懸命やっても
満足なものが作れないままでした
学生の頃 熱中した部活動は放送部
アナウンスを練習するというよりも
ラジオドラマを作るのが主な活動でした
台本 効果音作り 録音 編集 演者
いろんな役割を経験する中で
制作の面白さに魅かれました
そんな中 抱いた将来の夢は
アナウンサー
就職活動では地域の民放局を受験しましたが
夢はかなわず
結局 金融業界に就職する事に
※ お札を扇状にして数える
「札かん」は今でもプチ特技です
実家を離れて社会人となり 数年たった頃
高齢の両親の介護が必要となり
仕事をやめ実家へ帰る事に
新たに就職先を探しているときに
本当にタイミング良く
地元放送局の求人を見つけました
縁あって現在の会社へ入社
バブルの名残がある時代
肩パットが〜
平野ノラの持ちネタのような
バブリーな衣装を リアルに着てました
※恥ずかし〜 でも懐かしい
(陶芸に挑戦)
スタジオでのmc 現場での取材
体験リポートなど
時間も不規則でハードでしたが
好きな仕事ができることに満足していました
仕事を続けながら 20代後半に結婚
二人の子供に恵まれました
夫も仕事が忙しい人だったので
育児は ほぼワンオペ状態
そして両親の介護
30代から40代の頃は
全てをこなすために毎日分刻みのスケジュールで
10年間位の記憶が定かではないほどです(笑)
完璧になんてこなせませんでしたが
無我夢中でした
親の看取りも経験 介護が終わりました
子供も高校生や大学生となり
やっと少し状況が落ち着いてきた頃
50歳を目前にして現れたのが
体の不調
疲労感や体の痛みが取れず 色々な病院通い
内科 整形外科 産婦人科
原因がつかめず痛み止めを飲んで生活する日々
治らない痛みで
ずっと座っていられない
外での長時間の取材活動が無理
パソコンを長く扱っていられないなど
仕事続けるのが困難な状況に
もう無理
これは体が悲鳴を上げてるんだ
仕事を一旦休もう
無期限の休みに突入しました
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続きは‥その②へ
お菓子講師とアナウンサー 二足のわらじ
その経緯や
教室始めたばかりの頃の事から現在まで
ぜひ読んで見て下さいね♪