三十年目の春がきた。
まだ学生であった頃、
私は何の為に生きてるんだろう、生きる意味ってなんだろう、
なんて、多感な子供にありがちな事を考えていた。
三十年前の三月、
総排泄腔外反なる状況で生まれてきた私を
家族が、お医者様や看護婦さんが、社会が守り支え育んで下さったこと、
そして数々の運と縁があってここまで生きてくることが出来た。
だからこそ、そうした総てが大切に思うからこそ、
この幸運にして授かった生を精一杯生きよう、役に立てよう。
それが私の生きる意味だ。そう思った。
けれど、理想と現実の乖離は子供であった私にはどうにも整理できなくて、
この大切な生を無為に浪費している自分がどんどん嫌いになっていった。
何時の間にか、私は「生きる意味」を考えることを止めた。
そうしないと、止めどない自己嫌悪感で気がヘンになってしまいそうだったから。
さも知ったように、「生きる意味を考えるなんて子供ね」などと嘯いた頃もあった。
そうして、欲張らず、前だけを向いて
今日と明日をとにかく元気に生きていこう、
その結果として良い人生であったと振り返る日がくればと
そう思うようになった。
サテ、学校を終え、社会人になって八年余り。
何時の間にか同級生も親になるような年の頃になるに至り、
あくまで程度の差ではあるけれど、子供の頃と比べれば
少しは自分に出来る事や出来無い事が見えてきたのだとするならば、
今一度、この与えられた生をこの社会で活かしていくか、
改めて考えてみたらどうだろうか。
自分に出来る事を残せる物にこだわりを持つようにしよう。
そんな三十代にしよう。
そんな事を、年甲斐も無く考えている。
まだ学生であった頃、
私は何の為に生きてるんだろう、生きる意味ってなんだろう、
なんて、多感な子供にありがちな事を考えていた。
三十年前の三月、
総排泄腔外反なる状況で生まれてきた私を
家族が、お医者様や看護婦さんが、社会が守り支え育んで下さったこと、
そして数々の運と縁があってここまで生きてくることが出来た。
だからこそ、そうした総てが大切に思うからこそ、
この幸運にして授かった生を精一杯生きよう、役に立てよう。
それが私の生きる意味だ。そう思った。
けれど、理想と現実の乖離は子供であった私にはどうにも整理できなくて、
この大切な生を無為に浪費している自分がどんどん嫌いになっていった。
何時の間にか、私は「生きる意味」を考えることを止めた。
そうしないと、止めどない自己嫌悪感で気がヘンになってしまいそうだったから。
さも知ったように、「生きる意味を考えるなんて子供ね」などと嘯いた頃もあった。
そうして、欲張らず、前だけを向いて
今日と明日をとにかく元気に生きていこう、
その結果として良い人生であったと振り返る日がくればと
そう思うようになった。
サテ、学校を終え、社会人になって八年余り。
何時の間にか同級生も親になるような年の頃になるに至り、
あくまで程度の差ではあるけれど、子供の頃と比べれば
少しは自分に出来る事や出来無い事が見えてきたのだとするならば、
今一度、この与えられた生をこの社会で活かしていくか、
改めて考えてみたらどうだろうか。
自分に出来る事を残せる物にこだわりを持つようにしよう。
そんな三十代にしよう。
そんな事を、年甲斐も無く考えている。