　恐らく余命それほど長くないであろう、古くからの知人。とても大切に思っているその人と、先日、夜勤明けに待ち合わせて食事を取った。一緒に過ごしている間はとても楽しい時間だったが、別れてから、その人の死が近づいていることを改めて認識したことで、一気に悲しみが押し寄せた。そして急に神経の芯から草臥れた感覚に捉われた。今までの経験上、これはヤバい状態が来る前触れ。とりあえず準備はしておこうと、帰宅する前に自宅の最寄りBOOKOFFへ。激しい鬱に陥っていても気楽に読めそうな本を百均コーナーで数冊物色して購入。心身ともに重さを引きずり帰宅した。
　案の定、帰宅後すぐ希死念慮を伴う激しい鬱に捉われた。久しぶりに本気の自殺願望が胸中重くのしかかってきた。せっかく購入した本も今は読む気になれない。そのまま横になり死と戯れ死と抗った。夢ともうつつともつかない半眠半醒の意識のなかに、手首を切ったり首括ったりのイメージが繰り返し襲ってきた。泣き出す一歩手前。泣けたら少しは楽になれそうなのに泣けない。そんな重苦しい精神状態がしばらく続いた。人が自殺を選ぶときの精神状態がまさにこれなのだろう。そんな思いと共に、およそ二時間ほど身体を横たえ、無為そのものを過ごした。生きながらに死んでいた。
　こういう状態に陥った時に無理に活動的になろうと思わない方が良い。至ってそれは後に尾をひくことになる。心が仮死を求めるなら仮死を過ごせ。そのうち感覚が波が引くようにすーっと楽になる時が来る。何度も経験しているから、苦しみがこのまま続くわけではない、必ずやがて上がると何とか信じられるのだ。
　今回も実際そうだった。二時間ほどの死を過ごすことで、気持ちが少し生へ向かうのを覚えた。ここでようやく、あらかじめ枕元に準備しておいた本が役立つ。他愛無い、さほど根を詰める必要もなく読める本。起き上がる気力は湧かないが、この程度の本は読める。そんな精神状態で寝転がって戯れる読書は案外これ好きかもしれない。他愛はないが退屈でもない。その辺のラインの本が、至って慰みとなり、気力の回復へ誘ってくれるのだ。
　経験上それを考慮して今回チョイスしたのが表題に上げた本書。まさに他愛はないが退屈でもない絶妙のライン。回復期の鬱の状態に打ってつけ。阿刀田高の短編小説は文章に艶があり、行間に豊穣な夢想へ誘う広がりも感じられる。なおさら孤独な魂に寄り添う世界だ。今回の激しい希死念慮に捉われた危機に、本書が大いに慰みとなった。泣き出す一歩手前で重苦しさが続いていた心を揺かごのようにあやしてくれた。至福の時間だった。
　案外鬱の状態での静かな読書を、平常な精神状態での読書以上に僕は愛しているかもしれない。そして十代の頃から鬱を繰り返し、やり過ごすためのこういう術を見出した僕は、そう簡単には実際に死を選ばない。自分をそう信じたい。

阿刀田高『コーヒーブレイク11夜』