わたし90歳代の友だちがいる
家も近くて仲良くしてたし
気楽で楽しいご近所さんで
わたしの生活に欠かせない大事な人
って感じで大切だった

どんなに長生きてしてほしいって願っても
寿命があるからいなくなるのが怖かった

救急車のサイレンが近くに迫ってくると
いつも勝手にどきどきして
頼む止まらないで行ってーーーって
よく祈ってた。そして、びびってた。

だからほんの少しだけ離れた所に引っ越して、ちょっとほっとしたんだ
その心配から逃げられて
勝手に作った心配だったけど
とにかく逃げられて、ほっとしたんだ。

見捨てたとか裏切りとかひどいとか冷たいとか、自分にたくさんことばが浮かんだ
けど会いに行かなかった。
あんなに毎日顔合わせてたのに
どうしてるかなって思うけど、たぶん元気ってことして。
ひどいって思いながら、いいかって。

でもサイレンが鳴るといい人ぶって
思うんだ。90歳代のあのお方のことや父のこと。不義理やほったらかしてるのに。
ざわざわするんだよ。
でもいいかって…

困ってたらいつでも助けてもらえるし、
守られているから安心しなよ。
って、自分に言い聞かせるようにして。
勝手だけどね。
サイレンを安心のおまじないにしたら、
怖くなくなった。

不思議とタイミングが合うようになって
主人がそのお方とばったり会ったり、
父とも抜群のタイミングで待ち合わせが成功する。

そして恨まれてるかと思いや全然違う
愛され思われている。ありがたかった。
わたしのほうがいつも案じられている。
きっといつも祈られているんだと思う

なみだが出てきてしまった
わかってしまった
生きてても死んでもずっとかわらない
そこにある。だから大丈夫なんだと