2018/8/12

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「怒っている人間は狂っている」

 

 

松尾スズキのエッセイで

このフレーズが十年以上

心に残っていて、再燃する。

 

 

そのくらい怒りというのは

知らぬ間に、目にしていることなのだろう。

 

 

静かを装う人ほど

怒ってよい時間を

暴れてよい場所を

探しているように見える。

 

 

居場所というのは、人が唯一

怒っても許されると

錯覚できる場所のことではないか?

 

 

 

少し前の話になるが

怒っている人をみた。

場所はカフェだった。

 

喫煙席に座っていると

客が出たあとのテーブルを

片付けに店員が入ってきた。

 

その店員を捕まえて

中年の男が

因縁をつけ始めた。

 

この男をAとする。

店員を店員Aとする。

 

内容は酷いものだった。

 

それは耳に入るなり

こちらを不愉快にするような

不毛な因縁だった。

 

因縁は五分ほど続いたが

ある変化が起きる。

 

 

違う客が違う店員を連れて

喫煙席に入ってきた。

 

違う中年の男だ。

 

違う中年の男をBとする。

Bに連れられてきた店員を店員Bとする。

 

Bは先に因縁をつけていたAより

遥かに大きな声で

店員Bを怒鳴りつけながら

喫煙席に入ってきた。

 

それは不快という度合を超えて

そこにいる全員が無条件で

そちらを見ざるを得ない罵倒だった。

 

 

すると、先程まで怒っていたAは

急に店員Aを手放し

喫煙席から去るように告げた。

 

店員AはBと罵倒される店員Bの横を

通り過ぎ、自動ドアの外に出て行った。

 

 

 

 

怒りは俯瞰すると恥ずかしいものだ。

 

だが、怒っている当人は

自分の正しさを主張している"つもり"なので

恥ずかしさなど皆無なのだ。

 

 

Bはしばらく店員Bを罵倒していた。

 

AはBが入ってきて少しすると、席を立ち

店から出て行ってしまった。