一昨日の実践メモで少し触れたこと。

携帯さんのまとめを読んで考えたこと。

 

携帯式06 「執着してる内は上手くいかない」理由、その正体は「恐れ」だから | ザ・チケット板☆備忘録

携帯さんは上記の>>2878で

「おまじない的な(メソッドやったら叶いましたというような)願望実現では、結局内面はビタ一文変更しないまま」

と言ってる。

 

願望が叶ったとしてもそれ単発で終わるので、人生全体に対して「結局何とでもなるんだな」と思えるようにはならない。

現象の奴隷のまま。

そうするといずれ、感情の振り幅がマイナス方向へ大きく触れるようなものにわざわざ焦点を当て、また悪い経験をすることもある。

ということ。

 

本願さえ叶えば良いと思う人にはまどろっこしいが、総合的に考えたら、内面ごと変更した方が良い。

現実を起点にリアクションを続けているのを逆転させる。

感情に波があっても気にならないレベルに落ち着き、「結局何とでもなるんだな」とわかってくる。

すると経験する事柄も変わってくる。

 

それから

携帯式21 「もしそれを願う必要がなかったら?」その時自分は何を感じるか | ザ・チケット板☆備忘録

ここで>>484と

「まず深刻な問題ありきで実践している人」

「問題を強烈に見つめすぎてる」

という会話をしている。

 

潜在意識に辿り着く人は、大体は願望実現というより救済、何かとてもショックなことがあって、それを何とかする方法を求めたものと思う。

でも、本来はやっぱり総合的セルフプロデュースというか、生まれてこの方周囲に勝手に形成されただけのセルフイメージに今からやっと手を入れ、望むように軌道修正していきましょうね。

という位置づけでやるのが正規ルートなんだろうな。

 

まずセルフイメージありき。それに基づいて、小さな(と、何であれあえて考える)問題をさくっと解消する。

小さな願望をさくっと実現する。

そりゃ当然だ、確固たるセルフイメージが世界の全てなのだから!

という順序でやるのが本来は最短なんだろう。

最短なだけで、最簡単、ではないけどw

 

一旦全部の問題を置いといてみよう。

それも上の携帯さんまとめ21の

「もしそれを願う必要がなかったら?」

という問いかけでやってみる。

嬉しいね。もううんうん唸って解消のための筋道を考える必要がないなんて!

いや~助かりますわ神様サンキュー、おかげさんでもう願望実現とかやる必要なくなったわ~。

 

で、自分を見つめ直し!

セルフイメージを総合的にセルフプロデュース。

 

このルートだと、日向ぼっこ状態が生じ得なかったかもしれないな。

日向ぼっこ状態って、108氏曰く・紙さん曰くまあまあイイ感じだけど実は物理現実を怖がってる状態だと思っていて。

つまり、現象にいちいちリアクションしなくなったとはいえ、主従関係という観点では現実が主になってることに変わらんのよな。

でも、上のルートなら全てが自分の内面という一つのスタート地点からしか伸びていかないので、主導権は常にこちらが握ることができる。

精神世界 vs 物理現実という二項対立がない。(精神世界=物理現実。文字通り「現実は内面の投影」)

日向ぼっこ状態にはなりたくてもなれない。

 

……なーんてぱぱっと感じた。

ちょっとした気づきだけど、文章に起こすと長いな。