石垣島はりー探検隊

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島人 はり~のブログです♪

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お酒を吞みながら、お塩をなめる風習は世界中で古来から有りました。
今考えると健康に悪そうですよね。
ところが、実は今私たちが使ってる塩とは違う塩だったんです。
食材のうまみを引き立たせるなら「ナトリウム以外のミネラルを含む塩」
私の好む日本酒と塩は合います。 例えば「敵に塩贈る」でも知られている、上杉謙信に限らず戦国時代も江戸時代も酒の肴には「塩」は定番でした。
 そしてこの時代の「塩」は現代の塩と違い、海水からじっくり手間暇かけて造られた「ミネラル豊富塩」だったので、塩分濃度は現代の「塩化ナトリウム塩」(ミネラルゼロ)より低くて味わいも良い物でした。
こうした体に良いお塩は、日本全国どこでも作られていました。よく知られてるのでは「赤穂の塩田」でしょうか。
良いお塩は、食料の長期保存や、体調維持には欠かせない重要なもの。
 謙信は「塩」の大切さを知っていました。「梅干」や「煮豆」も好んだ様です。いずれも塩味の強い物でしたが、一番の大好物は「里芋の煮物」だったそうです。
そして実際に命を縮めたのは「酒」その物の様です。かなりの「大酒家」でいくら飲んでも乱れない人だったそうですから、そういう人ほど飲酒量も多いですからね。そして謙信は普段から「質素・倹約」家で酒の肴にも贅沢は言わなかったと言われてますね。謙信=酒酒」が大きく影響してるのではないでしょうか?謙信は48歳で没しましたがこの時代の寿命では平均的と思われます。
 
「塩」は取り過ぎるといけないとはいいますが、この時代は「合戦」や日常の「移動」も重労働でした。「ミネラル豊富な塩分」補給をしなければ体が持たないので下級武士や足軽程、塩分の補充には熱心でした。 最後にですが「お酒」は程々が良いですよね。
お塩伝道師はり~