総序
人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。個人のささいな出来事から、歴史を左右する重大な問題に至るまで、すべては結局のところ、等しく、幸福になろうとする生の表現にほかならないのである。
それでは、幸福はいかにしたら得られるのであろうか。人間はだれでも、自己の欲望が満たされるとき、幸福を感ずるのである。しかし欲望などといえば、ややもすると我々はその本意を取り違えがちである。というのは、その欲望が概して善よりは悪の方に傾きやすい生活環境の中に、我々は生きているからである。しかしながら、我々をして不義を実らせるような欲望は、決して人間の本心からわき出づるものではない。人間の本心は、このような欲望が自分自身を不幸に陥れるものであるということをよく知っているので、悪に向かおうとする欲望を退け、善を指向する欲望に従って、本心の喜ぶ幸福を得ようと必死の努力を傾けているのである。これこそ正に、死の暗闇を押しのけて、命の光を探し求めながら、つらく、険しい人の道を彷徨する偽らざる人生の姿なのである。いったい、不義なる欲望のままに行動して、本心から喜べるような幸福を味わい得る人間がいるであろうか。このような欲望を満たすたびごとに、人間はだれしも良心の呵責を受け、苦悶するようになるのである。その子供に悪いことを教える父母がいるであろうか。その子弟を不義に導く教師がいるであろうか。だれしも悪を憎み、善を立てようとするのは、万人共通の本心の発露なのである。
(以上 引用)
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私は、最近ハウスクリーナーのお仕事をぼちぼちとしていましたが、
五十肩がひどくなって、病院にいっても対処療法で鎮痛注射とか鎮痛剤くらい。
そんなに長い時間の仕事でもないしと、だましだましやってましたが、
さすがにこのままではいかんという感じになってきたので
ちょっと休ませていただいて、(とはいっても家事はせなあかんし、
ちょい支障をきたしておりますが)
この年になって、体力仕事もあと何年できるんかなと思ったり。
”その欲望が概して善よりは悪の方に傾きやすい生活環境の中に、我々は生きている”
↑私が教会に来てから20年間でも、世の中だいぶ良くなったようにも思えるけど
でも、また違った意味で変わってることもたくさんある
(善になってきてる部分と、その逆)
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みことばを毎日拝読(うちの教会では訓読、といいますが)して、
読んで感じたことを、書いていこうかなとおもったり。
(引用が短か過ぎますね)
20代、若い独り身の日々に聞いたみことばと
50代、結婚して子育てして、また感じる世界と。
昨年亡くなったシオモニ(お姑さま)の
服とか、いろんなものだいぶ整理したつもりだけど
まだ残っていたもの、今日は整理して断捨離。
古いお布団も処分。
痛いので少しずつ。
