先日のライブのサブタイトルが「ホワイトデーに贈る」となっていたので、何か私が歌える「男性から女性に贈る」内容のラブソングが無いかと探していたのですが、共演したゆうこ先生のオリジナルのインスト曲「Thank You For Your Kindness」という曲にインスピレーション受けるところがあって、全く別のタイトルで歌詞を書かせて頂きました。
うちの家内は19年前に癌で亡くなりました。
体調が悪いという事で病院に診てもらった時には既に「余命1年」という宣告。子供達も小さかったものですから、一日でも長くお母さんを続けて欲しいと思い、過酷な治療に向かわせましたが病状は治療を受け付けず、体力だけを奪うものでした。最終的に治療を諦めた我々は大学病院を追い出され、佐賀県立病院のホスピスに辿り着きました。大学病院でも痛みのコントロールは受けていたのですが、もはや廃人同様だった家内が、ホスピスに入って更に専門的な痛みのコントロールを受けるようになって、日増しに会話も出来るようになり、顔色も良くなり、笑顔を戻して行ったのを覚えています。しかし、そういった明るい出来事の背後に彼女の最期の時が着々と忍び寄って来るのも覚悟していました。
そんな中、急に家内が
「家に戻りたい。最期は家で看取ってほしい。」
と言い出しました。
最期の時が迫る中、やっと落ち着いた時間が過ごせるようになったところにそんな家内の言葉。今受けている安定の為の治療を放棄してまで「家に帰りたい」という彼女の言葉に狼狽し葛藤しましたが、ホスピスの先生の「是非、そうしてあげて下さい」との言葉と、家に帰った後の医療体制のお約束を頂いて、大反対する彼女の家族を振り切って、当時住んでいた自宅に彼女と帰りました。
家に帰ってからの彼女はみるみる笑顔を取り戻し、絶え絶えの息ながらも他愛も無い話をしたり、夫婦二人で日向ぼっこしたりして心暖かい日々を過ごしました。
今思えば、夫婦で十数年暮らしてきて、一番幸せな日々だったと思います。それが丁度、今の時期です。
ある夜、まだ凍える深夜に彼女が階段まで這って行き、二階に行きたいと言い出しました。二階には彼女の部屋がありました。深夜だからと必死の思いで彼女をなだめて「明日、連れて行ってあげるから」と約束し、その次の朝に彼女を二階の自室に連れて行きました。
窓からこぼれる春待ちの日差しに浮かべた彼女の安堵の表情と満面の笑みは忘れられません。
そしてその笑顔に我々家族が暖かい心になった次の朝、旅立って行きました。
最期の最期は自分の匂いの染み付いた一番安心出来る場所に戻りたかったのでしょう。
それを「巣」という言葉に置き換えて、最後、幸せと思えた数日間の心境を詩に落としました。
サビの部分で
夜の帳おりて 家々に火が灯る
あの明かりに寄り添う人々が
どれだけ 他愛もなく
暖めあって 暮らすの
というくだりは、家内の癌宣告を受け、告知を任された(当時は病院から本人ではなくて、家族に告知が行われていました)私が、人様の家の明かりを見ながら「俺達以上に不幸な家族はいないよな。」と、人の幸せをうらやんでいた心境です。
詩を書きながら痛切に思ったのは
「あの時は幸せだった」
と思い返す事以上の不幸は無い、かと。
パートナーをお持ちの皆様、ご自身はもとより相手の健康には充分ご配慮下さい。
元を辿れば「赤の他人」。私はこの事態になって一番大事なのが家族よりも、傍にいる「赤の他人」だという事に気付かされました。
最後になりましたが、作曲者のゆうこ先生に感謝いたします。
歌詞に気持ちを落とす事で、少し心の荷物を下ろす事が出来たような気がします。

弥生の巣(ゆうこ:作曲 ハープ・メグミ:作詞)
翼 もがれた母鳥よ
今は お休み
僕ら同じ 夢への
寂しい 共犯者
約束された 別れを
惜しむ 陽だまり
長居が好きな冬の日も
今の僕らに 丁度いい
夜の帳(とばり)おりて 家々に火が灯る
あの明かりに暮らす人々が
どれだけ 他愛もなく
暖めあって 暮らすの
今更 ながらのわがままも
微笑ましい 甘えも
誰が今のあなたを
咎(とが)めると いうの
狂うほど 愛しい命よ
迫る 別れよ
せつないはずの今が
一番幸せかもね
夜の帳おりて 家々に火が灯る
あの明かりに寄り添う人々が
どれだけ 他愛もなく
暖めあって 暮らすの
僕らの 過ちに
花のつぼみ 許すよに笑む
少し離れて歩いてた
春はそこまで来ている





