kimiko先生のつれづれ日記 -4ページ目
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あの日から12年・・・

今日は阪神淡路大震災から12年目の記念日でした。

あの日、ちょうど次女の幼稚園の入園説明会の日でした。

まだまだ爆睡している頃、突然の揺れで目が覚め、「地震や!!!」と主人の叫び声。

子供たちはその主人の叫び声で目が覚めたのでした。

うちの周辺は幸い震度4程度の揺れだったので大きな被害はなく、マンションの上層階に住んでいた友達の家で、食器棚の中身が飛び出したのが一番大きな被害だったくらいでした。

それでも今までに経験したことのない揺れに不安が高まります。
なんだかいつもと違う感じがしたのです。
果たしてこの揺れが一番大きかったのか、それともどこか遠いところで大きな地震が起こったのか・・・

早速起きてテレビを付けて愕然としました。
阪神高速が倒れている!!
家がめちゃめちゃにつぶれている・・・
まさかこんな大変なことになっているとは思いませんでした。

神戸の人々は火事に、家の倒壊に苦しんでいます。
でも、大阪の私たちはそんなに大きな被害もなく、テレビを見ていたのでした。

次女の幼稚園の入園説明会も予定通り行われました。

何日たっても神戸には電気がともらない、水も出ない、暖房が効かない・・・
なのに私たちはぬくぬくとした部屋でいつも通り生活している・・・

何かおかしいと思いました。
でも、小さい子供のいる私たちにはどうすることも出来ませんでした。

いや、きっと何かできることがあったはずです。
でも、それを探すことも、何かをしようとすることも出来ませんでした。
そんな自分を情けなくも思いました。

しばらくして神戸が復興し始めた時、神戸の人たちと、大阪の人たちとに少し壁を感じてしまいました。
なんだか神戸の人たちに申し訳なくて、合わせる顔がない感じでした。
神戸に行くことも出来なくなってしまいました。

神戸の人たちはみんなで協力して、お互いを助け合い、立ち直っていこうと努力しています。
辛かったはずなのに、活き活きして、輝いていました。
それなのに自分たちは・・・
何も出来ず、汚れているように感じました。
その気持ちは今でも変わりません。

あのとき何かできなかったのか?
今なら何が出来るか?
もし自分たちの身にあのような出来事が起こったとき、神戸の方たちのように出来るのか?
今でも疑問です。

ただ一ついえることは、
もし、もし・・・(絶対いやだけど。)
こんなことが起こったら、次は絶対何かできるようになりたい。
そのためにはどうすればいいのか?
考えてみようと思います。

あの日、まだまだ生きたかった命を落としたたくさんの方々のご冥福をお祈りします・・・

はじめまして!

はじめまして!
ハーモニー音楽教室のkimiko先生です。
大阪府東大阪市でピアノ、エレクトーンの教室をしています。

中学3年生と高校3年生の二人の女の子の母です。

最近はダイエットのためのフィットネスジムにはまっています。

レッスンで感じたこと、日頃思っていること、その日のニュースについて、子供たちのこと、家族のことなど何でもいろいろ書いていきたいと思っています。
どうかよろしく。
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