考えてみる。一番古い記憶は、幼稚園に通っていた頃つきつけられた選択。ステレオ購入かオルガン教室(…これって何だかすごい)。その後は、初めてLPレコードを買う時、進路を選ぶ時、そう言えば小学生の頃靴を買う時にさえ何かしら意味をくっつけて考えていたな。其の時々の瞬間瞬間の気持は二の次で、親の思惑や先々の事考えて選ぶ窮屈さをいつも感じていた。
この前のヴォイスヒーリングの個人セッションの時に、満喜子先生から「お母様はあなたのことをとても頼りにしていたのですね」と言われ、正直「へ?」といった心持ちだったことを思い出した。頼りにされているのは兄で、私の存在は …何だろう。つきつめて考えた事がない。でも漠然と感じていたのは、どういう状況でも「我慢」というカタチのないものに包まれて育ってきたこと。家を出て13年経った今でも、その呪縛から意識的に逃れようとしてもまだ、下地としてあるように感じる。まぎれもなく私というものを作ってきた要素であり、きれいに拭い去ることはきっと出来ないのだろう。
後日、あ!と思い出したことがあった。兄の結婚式の当日に、待合室で話していた時のことだった。顔ぶれは、母と母の妹である叔母、そして私。たわいもない事を話しているうちに話の流れが私の事に及んだ。当時からすでに家を出て暮らしている私に「この人は(家から)逃げたものね」と母が言った。その時は、そんな風に思っていたのかと唖然としたが、満喜子先生の言葉を聞いた今では、母に内心そういう思いがあったかもしれない ということが理解できる。
母は、娘である私に自らを投影して生きて行かねばならないような心持で日々を過ごしていたのか。娘に逃げられた と思う母の心を思うと複雑で哀しい。でもね、自分自身は他の誰かとはすり替えられないよ。幸せは自分の中にある。そして自分以外の誰も、それを犯す事なんか本当のところ出来ないと思う。そして、状況が変わっても自分の中の核となるものは変わらないはず。あの言葉から4年近く経つけれど、今の母の心はどんなだろう。
私は何かを決めるとき今でも 自分の気持を優先することに躊躇する。その後のあらゆる余波について考える。自分の気持が一番!てのは、わかっているのに。他のものは後からついて来るって頭ではわかってるのに。
そうそうその通り。だから、
前途洋々ひとり暮らしを始めたあの時のようにあとは実行あるのみ。