私は勘がいいわけではないが、何かがあるときは予感を感じることがある。

それはある日、仕事上でいつもとは違う出来事があった日だった。

私は、仕事上のイレギュラーを収めて、お昼に入った。

社員食堂に向かっていると、すれ違いざまに声をかけられた。

 

旧友「あれ、久しぶりじゃん!同じ職場だったんだね。今まで全然気が付かなかったよ。」

私「あ ああ久しぶり。元気にしてた?」

 

それは大学時代の知り合いであった。

特に仲が良かったわけではないが、共通の友人を介して知り合った人だった。

その共通の友人は私のことを知っており、まずいことに喧嘩別れしそれ以降会ってないのだ。

 

旧友は同じくお昼を取るところだったらしく私はしばらく旧友と懐かしい話をした。

偶然とはすごいものだ、この旧友もいろいろあって私と同じ分野の職に派遣という形でたどり着いたのだった。

一人だったお昼に友人が増え、昼休みに話すのが日課となっていった。

ある日のことだった。

 

私「そう言えば「共通の友人」を介して知り合ったんだったよね。」

旧友「ああ、あの子ね。いまだによく遊んでるよ、今度の休日も会うんだ。」

私「ああ、そうなんだ・・・」

 

私は旧友に、なぜか私の話題を共通の友人に話さないでとお願いしそうになったが。

考えすぎだと思い、何も言わずに話を切り替えた。

 

次の週、なんとなく気になり「共通の友人」の話を切り出した。

私「休みはどうだった、あの子は元気だったかな」

旧友「ああ、元気だったよ。」

私「そうだったんだ、よかった」

旧友「あなたと会った偶然も話してね、いやあなたの話が出たのよ」

私「・・・」

旧友「大学時代に言ってくれればよかったのに、私は全然そういうの大丈夫だから」

私「ありがとう、ただ職場ではそういう噂が立つとまずいから言わないでね」

 

まるで伝言ゲームだ。

この旧友が私の何を知っているかなどもはやわからない。

ただ、この旧友が噂を流すことがあったら私は簡単に「死」ねるようなそんな気持ちにしかならなかった。

そんなことをするような人ではないのは分かっているが、生殺与奪の権利を相手が握ったような気がしてならなかった。

 

人は知ったことを忘れることはない。

あの時絶対に話さないと誓った約束も。時間がたったり、接点がなくなった人の秘密はどこかで漏れてしまう。

 

警戒しすぎと思うだろうか?

ただの心配性だと思うだろうか?

 

表上はそんなうわさが流れても私をクビにすることなんてできない。

しかも、そんな人がいたところで仕事に何の支障もきたさない。

むしろやめてもらう方が会社にとってはデメリットになるだろう。

 

ただ、「噂」は簡単に感染する。

しかも感染して「知識」なってしまうと治療不可能な厄介なものだ。

その後は、方程式を一段づつ解くような正確さで感染が拡大した。

ある意味強制的なカミングアウトとなった。

幸いなことに周りには否定するような人はだれもいなかった。

昔のように、更衣室やトイレに困ることもなかった。

 

優しさに殺される経験をしたことはあるだろうか?

無意識下に生まれた「私とは違う人」という意識が周りに芽生えたころ私は自主的に退職をする決心がついていた。

 

退職理由はもっとキャリアアップをしたいというものだった。

 

これはだれのせいでもない、ただの事故だった。

そもそも旧友が話したのかもわからない。

それに私の名前は2004年に人名漢字に追加された漢字も含んでいるため、そういうところからの綻びだったのかもしれない。

どの行為がどんな結果に結びつくかなんて、だれが予想できるだろうか。

予測が可能な未来なんてものを想像できるほど、偶然を含めた情報をだれが管理できるというのだ。

 

泣き言は言わない。

昔と違って私にはスキルがある。

また次の職場に行けばいいとすぐに考えがまとまった。

もうすぐ30歳という区切りの年には「学歴」「職歴」「資格」を書くと、履歴書の枠にすべて入りきらなくなっていった。

 

一度きりの人生。

人は何かの職につき、経験をし自分を構成してゆく。

私はある意味いろいろな仕事、いろいろな価値観を経験することができるこの人生を与えてくれた神様に感謝をしている。

 

仕事の最終日、私は旧友に挨拶をしに行った。

なにか言いたげな表情ではあったが、私は明るくまたどこかで会おうねと言ってお別れをした。

家に帰り母に「ただいま」と言った。

自室に戻り昔誰かからもらった懐中時計が止まっていることに気が付いた。

私はねじを巻き時間を刻ませてあげた。

 

次の仕事は簡単に決まった。同じく遺伝子検査領域の分野だった。