先日、ベジタリアンのインドカレー屋さんNATARAJでインド哲学の講座を受けました。
先生が問いかけ、生徒が答える。
そしてその答えの中に次のポイントが。
先生は再び問いかける。
というような繰り返しで
私(あなた)は誰でしょう?
という問いを追求してゆきます。
この日の内容をまとめるとこんな感じ。
私は意識。
肉体はこの星での乗り物。
私は永遠なる存在。
Love is life.
Life is god.
クリシュナ神についてというのがこの日の本来のタイトルになってましたが
全くその名さえも出ずに終わったのでした。が、あとで考えたり調べてみると
クリシュナムルティに辿り着き、今日学んだことの深さを知るのでした。
WIKI のクリシュナムルティのページ、かなりいろいろ書いてありました。
その中から抜粋です。
時間
世界に争いをもたらす観念の正体とは何か。それは記憶と欲望だとクリシュナムルティはいう。過去の結果としての記憶、そして記憶に基づいて未来へ投影される欲望である。クリシュナムルティは時間を物理的時間と心理的時間に分け、心理的時間を否定する。物理的時間は事実であるため否定できない。事実は否定できないが、事実についての見解は否定できる。精神がつくりだす過去や未来といった時間の観念(心理的時間)は実在である今を犠牲にしようとする。
記憶は物事に対する固定的な反応パターンを形成し、いまあるものをありのままに捉える妨げとなる。不安や恐怖も反応パターンの虜になっている精神が生み出したものだという。恐怖とは「未知なるものへの恐れ」というより「既知なるものを失うことへの恐れ」だとクリシュナムルティは指摘する。時間を媒介として物事を見ることは破壊的作用をもたらす。死が恐いのは生を失うのが恐いからである。孤独も屈辱も自分が愛着しているもの、記憶として価値ありと思っているものを失うことへの恐れである。精神は失うことへの恐れから内部にも外部にも様々なものを蓄積しようとする。ところが蓄積したものはそれを失う恐怖を生む。かくして精神の活動は悪循環におちいる。新しい型を作ったり、古い型を強化したりしても型にはまっていることは変わらない。
精神活動内での時間観念を拒否するクリシュナムルティは未来への希望や努力すら裁断する。未来はあるべきものという観念にすぎず、あるがままのものの認識ではないからだ。時間を当てにするかぎり、つまり「いつかは」こうなってやろうと思うかぎりあるがままのものと向かい合うことはできない。未来において何かになろうとする欲望は現在との矛盾で闘争となる。悟りを開きたいとか神の意志に従いたいというのも一つの欲望である。
今年はカバラを勉強してきた。
カバラとは、占いでも宗教でもなく
また哲学とも違う…。
カバラは人類における最古の知恵で
あり、その発祥は約5,000年前に
さかのぼると言われている。
不思議なことに、カバラを学び始め
ると、そのときのテーマに沿った
(セフィロトごとの)学びにまつわる
ことが実生活の中に巻き起こる。
ものすごく絶妙なタイミングで、
過去の体験を再現するようなことが
起こり、そのとき消化できなかった
ことと改めて向き合い、体感し、
解放・浄化していくことができる。
"生命の樹"をとおして自分の人生を
体験するということが学びそのもの
であったりするのだ。
学びの概念が大きくて日々が濃い…。
もしその巻き起こることに苦しんで
いたとしたら、自分の人生に抵抗して
いるのかもしれない。
または今まで辿り着けなかった自己の
課題の核心に触れたのかもしれない。
生命の樹には10のセフィロト(天球)が
あり、10番目のマルクトから1番目の
ケテルまで一年間で順に登ってゆく。
ローリーの授業は年に4回。
1回目はマルクト。
現実世界のセフィロト。
これがやっぱり厳しいかも。
あとは毎回3つずつ登ってゆく。
【生命の樹】
カバラとは⁈
という質問に即答できる言葉
日々の体験のなかで次第にバランス・調和を持ち始める人生。
自分を知るということはどんなに
重要なのだろうと感じる。
あと1ヵ月ちょっとすれば、カバラの
学びがケテルまで達する。
人生の学びは限りなく続くけど、
このちょっとした区切りは今の私に
とっては大きな節目である。
LOVE&GRATITUDE
カバラとは、占いでも宗教でもなく
また哲学とも違う…。
カバラは人類における最古の知恵で
あり、その発祥は約5,000年前に
さかのぼると言われている。
不思議なことに、カバラを学び始め
ると、そのときのテーマに沿った
(セフィロトごとの)学びにまつわる
ことが実生活の中に巻き起こる。
ものすごく絶妙なタイミングで、
過去の体験を再現するようなことが
起こり、そのとき消化できなかった
ことと改めて向き合い、体感し、
解放・浄化していくことができる。
"生命の樹"をとおして自分の人生を
体験するということが学びそのもの
であったりするのだ。
学びの概念が大きくて日々が濃い…。
もしその巻き起こることに苦しんで
いたとしたら、自分の人生に抵抗して
いるのかもしれない。
または今まで辿り着けなかった自己の
課題の核心に触れたのかもしれない。
生命の樹には10のセフィロト(天球)が
あり、10番目のマルクトから1番目の
ケテルまで一年間で順に登ってゆく。
ローリーの授業は年に4回。
1回目はマルクト。
現実世界のセフィロト。
これがやっぱり厳しいかも。
あとは毎回3つずつ登ってゆく。
【生命の樹】
カバラとは⁈
という質問に即答できる言葉
日々の体験のなかで次第にバランス・調和を持ち始める人生。
自分を知るということはどんなに
重要なのだろうと感じる。
あと1ヵ月ちょっとすれば、カバラの
学びがケテルまで達する。
人生の学びは限りなく続くけど、
このちょっとした区切りは今の私に
とっては大きな節目である。
LOVE&GRATITUDE







