今日は、モディ首相と安倍首相抗議行動の後、丹後フェスに参加するため川端丸太町から高野まで歩きました。1時間ぐらいかけてブラブラ歩いている途中にコミックショックという古本屋さんに立ち寄りました。そこで再会したのがこの本、「いまどきの神サマ」です。
この本は私が18歳の高校生の時にボロボロになるまで繰り返し読んだ本で、その後の私の宗教観と宗教団体観に決定的影響を与えた本です。私が理想社会を実現すると自称するあらゆる団体にシニカルな態度を取るようになった、原因の一つと言っていいでしょう。懐かしさと、お値段も100円だったので思わず買いました。
まだ事件が明るみに出る前のオウム真理教潜入記や黎明期の幸福の科学、前世、終末、オカルト、洗脳等々、今読んでも十分面白く資料価値の高い内容です。読み返してみて印象深いのほ、当時はろくに目もかけなかった表紙と背表紙に書かれたコピーです。
「退屈な世紀末,人びとは何を祈る?」
「世界一平等で 世界一金持ちで 世界一長生きのこの国には 一億三千万もの神サマがいるのです」
今読むと、どこにそんな国があったんだと思いますが、この本が出版された1990年当時はこのコピーに特段の違和感を感じないほど、日本という国はバブル景気に浮かれており、その乱痴気騒ぎについていけない人すら「精神世界」という名でひとくくりにされたマーケットに囲い込まれる時代でした。そのころは終末思想すら一種の流行商品で、オウム真理教もそういう流れの派生物として扱われていました。さまざまな著者によって書かれたレポートの寄せ集め本である「いまどきの神サマ」全体に通低するテーマも、資本主義に呑み込まれたいまどきの宗教現象を読み解くということだと思います。
この本と出合ってから24年の月日が経ちました。私の目にには、日本の宗教はあの頃と変わらない大衆にとっかえひっかえ消費されるアイテムにしか映りません。しかし、バブルから3・11という時間の流れは、終末をバーチャルなものからリアルに変えてしまいました。そんな時代に宗教の祈りや修行など通じるわけもない、ということはよく理解できます。と、同時にこの本で身に付けたシニカルな生き方も通用しないことも日々確認させられます。
青春時代に読みふけった本を読み返す時、バブル時代に完成された処世術が重苦しい現実によって否定され途方に暮れる中年男性の悲哀がより鮮明になるのです。因みにこの本、アマゾンで1円+送料で買えます。