火山の噴火はドカン!!と一発より、短い周期で小中噴火を繰り返す方が被害が少ないの!?の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

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当面の間冒頭にこのお知らせを載せることにしました。

 

 

 

1950年9月23日早朝、長野県と群馬県の

 

県境にある浅間山が大爆発を起しました。

 

 

 

 

 

 

降灰は東京都にも及び、爆発音は名古屋まで届いたそうです。

 

この噴火により噴出した千トン岩と呼ばれる

 

巨大な岩塊が群馬県側の山頂火口付近に出現しています。

 

 

 

 

 

 

この浅間山ちゅう、せわしな~い火山は、

 

地質学調査から約13-約2.6万年前から

 

噴火を繰り返してるそうな。

 

 

文献では日本書紀に噴火したとあります(諸説あり)。

 

 

 

 

 

 

とくに有名なのは、1783年8月5日の天明大噴火。

 

 

 

この日から90日間も大規模なマグマ噴火を繰り返しました

 

 

 

この噴火で火砕流・土石流は北側に流出。

 

嬬恋村や長野原町などを襲い、

 

死者約1600名、噴火により流出・焼失・倒壊した

 

家屋は約1300戸に上っています。

 

 

特に嬬恋村鎌原では土石流が一気に押し寄せ

 

当時の村の人口570名のうち、

 

観音堂まで避難できた93名のみが助かり

 

477名の命が失われています。

 

 

 

 

 

 

この時の噴煙は成層圏にまで達し、

 

火山灰が直射日光の照射を妨げて

 

天候不順を加速させ、天明の大飢饉の

 

原因の1つになったとされています。

 

 

 

 

 

 

現在、観音堂の石段は15段ですが、

 

1979年から鎌原地域の考古学的発掘調査が行われ

 

調査の結果、石段は全体で50段あったことが判明。

 

土石流は35段分の高さ約6.5メートルに達していました。

 

 

 

 

 

 

また、埋没した石段の最下部で

 

女性2名の遺体が発見されました。

 

 

 

 

 

 

若い女性が年配の女性を背負い観音堂へ避難する際に、

 

土石流に飲み込まれてしまったものと考えられています。

 

 

 

20世紀に入り、毎年小中規模の噴火を繰り返しては

 

何年か休み、また数年噴火を繰り返すようになりました。

 

 

 

 

 

 

一方富士山は、864年の貞観大噴火のあと、

 

小中規模の噴火を繰り返しながら1707年に

 

宝永大噴火を起こしました。

 

浅間山の天明大噴火より76年も前のことです。

 

 

 

 

 

 

あれから300年以上経ち、富士山は山腹で

 

何度か微量な噴気が上がった程度で

 

沈黙を続けています。

 

 

浅間山は天明大噴火以降数十回、

 

少しエネルギーが溜まれば

 

その都度放出してるように見えます。

 

 

もし富士山がこの300年分のエネルギーを

 

一挙に放出しようと企んだら、

 

一体どうなるでしょう。

 

 

宝永大噴火も天明大噴火も、

 

その火山灰は現在の東京・神奈川・千葉に及びました。

 

万が一富士山が噴火すると、それ以上の降灰が

 

予想されます。

 

 

火山灰には電気に触れると通電する特性を持っています。

 

そうなると関東の広範囲で大規模停電する恐れがあります。

 

当然交通網もマヒし、最悪の場合首都機能も喪失するかもしれません。

 

そんな時、昨今の超ゲリラ豪雨と重なったら

 

川は土石流で埋め尽くされ氾濫が各地で発生します。

 

 

 

 

 

 

このような大規模自然災害がいつ来てもいいように、

 

日頃から備えておきましょう。

 

 

 

 

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