阪神・淡路大震災で倒壊した家屋から助け出されてもう28年が過ぎてもた!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

悪夢のようなあの日

 
所用で訪れていた神戸の本家で震災に遭遇し
 
倒壊した家屋の下敷きになってから
 
もう28年も過ぎてしまった。
 
 
 
暗闇の中で身動きできず
 
「もうあかんのかなぁ……」
 
そう感じながら気を失い
 
意識を取り戻した時には
 
倒壊した本家のそばに寝かされていました。
 
 
 
 
 
 
幸い軽症で済んだのですが、
 
交通網は寸断され、移動手段は自分の足だけ。
 
伯父・伯母の制止を振り切り、
 
「援助物資を持って、必ず救援隊を連れて帰って来る!」
 
その言葉だけを残し
 
とにかく実家の姫路に徒歩で向かいました。
 
 
道路にはいたるところに亀裂が走り、
 
30cmほども隆起した個所や、
 
沈下した個所が延々と続き、
 
などが進めないのは明白。
 
でもそれを伝える手段が浮かばない。
 
 
 
 
 
 
十数時間かけてようやく実家に到着。
 
取りあえず握り飯をほおばりながら
 
すぐさま姫路市消防局へ
 
見たままを報告しに向かう。
 
 
 
 
 
 
本家は神戸の西の方だったので
 
阪神高速道路神戸線の倒壊や
 
長田方面の火災の惨状をそこで初めて知る。
 
 
 
 
 
 
自宅に戻り一度仮眠。
 
起きた後、家族に
 
「主人は今神戸に行ってて連絡が付かない」
 
との嘘の連絡を職場に入れてもらう。
 
 
 
再び神戸に戻ろうと準備をしてる時、
 
では無理なのを思い出し、
 
食料・水以外は最小限にとどめ
 
で向かうことにした。
 
 
 
積めない衣類は何枚も着込んで運ぶこととした。
 
おかげで体の動きがぎこちない。
 
 
もう道路はガタガタでなかなか進めない。
 
 
 
 
 
 
それよりなにより
 
東行きはどこの道路も
 
 
の大渋滞。
 
 
 
 
 
 
あちこち迂回しながら数時間かけて
 
あともう少しと言う所で電柱が倒れてたり、
 
 
 
 
 
 
家屋の倒壊で道がふさがれたりして
 
やむを得ずを置いて荷物を担ぎ
 
徒歩でようやく伯父・伯母の避難先に到着。
 
 
 
無事を確認し一安心の後自宅へと戻る。
 
 
 
これが私の体験した阪神・淡路大震災でした。
 
幸いけがは擦り傷・軽い打撲だけですみましたが
 
帰宅してから体中が痛くて痛くて、
 
そしてあの恐怖がよみがえってきて
 
もしあの時本家に火が上がってたら
 
私はここにいなかったと思うと
 
ガタガタ震えていたのを今でも覚えています。
 
 
 
戦時中神戸は大小100回以上の空襲を受けてますが、
 
本家は6月4日の空襲でやられました。
 
B29が関西方面に飛来する場合、
 
紀淡海峡を北上し明石海峡手前で
 
明石・姫路、神戸、大阪方面へと
 
進路変更するのですが、
 
神戸方面への侵入ルート上には須磨の
 
高射砲陣地があります。
 
B29はマリアナ各基地を飛び立った後
 
高度8000~1万mくらいを飛行してきますが
 
日本本土に近づくにつれ3000mまで下りてきます。
 
3000mならば日本の高射砲でも撃ち落とすことが可能です。
 
 
 
B29の関西への主な飛行ルート
 
 
 
敵は爆撃以前に偵察機を飛ばし
 
精密な航空写真を撮影し、
 
地上の様子を分析します。
 
よって爆撃の目標とする地区の
 
高射砲陣地等は事前に爆撃し
 
潰しておいてから爆撃隊が飛来します。
 
B29は市街地へは焼夷弾爆撃をしましたが、
 
高射砲陣地へは1トン爆弾等を投下しています。
 
 
 
 
 
 
それらが須磨の高射砲陣地近くにあった
 
本家付近にも投下され、本家や当家の菩提寺、
 
先祖代々の墓はことごとく爆砕され
 
跡には大きなクレーターだけが残ったそうです。
 
 
 
こんな感じやったらしい
 
 
 
戦後復員してきた祖父や伯父たちが懸命に働き
 
再建された本家は阪神・淡路大震災で再び失われ、
 
震災後は瓦礫を撤去後神戸市が土地を買い取り
 
現在は防災区画整備避難場所になりました。
 
 
戦時中先祖代々の家宝等は疎開していて
 
難を逃れましたが、震災で全て失っています。
 
 
 
震災前、本家の床の間に鎮座していた甲冑のレプリカ
 
 
 
 
人的被害
 
死者:6434名、行方不明者:3名、負傷者:43792名
 
 
 
住家被害
 
全壊104906棟、半壊144274棟
 
全半壊合計249180棟(約46万世帯)
 
一部損壊390506棟
 
 
 
被害総額:約10兆円規模
 
 
 
当家一族においては、須磨区の本家:倒壊、
 
長田区:全焼、芦屋市南宮町:半壊、
 
伊丹市北野5丁目:半壊の被害を受けましたが
 
怪我人は私以外にはいなかったのが
 
不幸中の幸いでした。
 
 
 
長田の火災
 
 
 
この震災における死者の数は多いのに
 
神戸市の火葬場自体も被災し
 
またそこまで運ぶすべのない方は
 
兵庫県下の各自治体に振り分けて
 
火葬されました。
 
私が通っているの女性医師も
 
実家で亡くなり
 
務めていたのある自治体で火葬されました。
 
 
 
あまりにも、あまりにも
 
つらく悲しい出来事でした。
 
 
 
あの時
 
この悲しみのまま
 
時が過ぎていくのかと
 
重苦しい気持ちで
 
満ち溢れていたのに
 
気が付けば
 
あれから28年もの歳月が流れました。
 
 
しかし何年経とうがあの日の記憶は
 
決して色褪せることはありません。
 
今でも鮮明に覚えています。
 
 
 
この間
 
東日本大震災をはじめとする
 
さまざまな大規模自然災害が
 
次々と日本を襲い、あの時の神戸と
 
同じ悲しみが繰り返されました。
 
 
 
 
 
 
もうあの時の涙は見たくない
 
もうあの時の涙は流したくない
 
 
 
 
だから次にやって来る
 
大規模自然災害にはしっかり備えよう!!
 
 
 
 
 
 
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