おいおい戦争は始まったばっかしやのに、1942年1月には海軍艦艇に多数の被害が出てるゾ!!の巻 | 第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

第伍章「あっそう、ふ~ん!!」

主に戦史について取り上げてますが戦史には諸説ありますので、明らかな誤記以外はご容赦を!!

1941年12月8日、海軍はハワイ真珠湾を攻撃、

 

陸軍はマレー半島・香港等、東南アジア各地に

 

侵攻を開始しました。

 

 

 

10日、マレー沖海戦で海軍陸攻隊が

 

英戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈。

 

 

 

 

プリンス・オブ・ウェールズ

 

 

 

同日、 海軍陸戦隊はマキン島とタラワ島を占領。

 

陸海軍部隊はグアム島を占領。

 

 

20日、陸軍坂口支隊と海軍陸戦隊がダバオを占領。

 

25日、第23軍は香港を占領。

 

 

1942年1月、第14軍マニラを占領。

 

と進撃は続きます。

 

 

ミンダナオ島へはダバオ占領と同時に

 

海軍艦艇が進出したのですが、

 

4日、ダバオ湾に停泊していた重巡妙高を

 

はじめとする第五戦隊とその他の艦艇は、

 

ボルネオ島サマリンダを発進したB17

 

8機の攻撃を受けました。

 

海軍艦艇は年末に進出したばかりで、

 

未だ防空体制の整備も構築できてない

 

時の奇襲でした。

 

 

 

 

 

 

B17が投下した爆弾の一発が妙高の

 

二番砲塔左舷側甲板付近に命中。

 

 

 

画面右、数名の乗員がいる辺りに着弾

 

 

 

艦長は即座に前部弾火薬庫注水を命じ、大事には至らず。

 

妙高は来たばっかしで即、佐世保港に回航されました。

 

 

12日、海軍落下傘部隊がボルネオ、タラカン島に

 

降下したのを受け、

 

掃海艇第13および14号が同島周辺の
 
掃海作業を開始すべく接近したところ
 
海岸砲台の砲撃をうけ大破放棄。

 

 

 

掃海艇第13号

 

 

 

17日、伊60はスンダ海峡南口付近で
 
英駆逐艦ジュピターに発見され、

 

12センチ砲で砲撃戦を交えるも沈没。

 

 

 

 

ジュピター

 

 

 

20日、駆逐艦雷はダバオ沖にて仙台丸と衝突。

 

 

 

 

 

 

同日、伊124は豪州ポート・ダーウィン沖にて
 
敵駆逐艦デロレインに発見され、
 
通報を受けた掃海艇部隊とともに爆雷攻撃を開始。
 
伊124の司令塔付近で爆発し沈没。
 

 

 

 

 

 

21日、駆逐艦朝雲はタラカンにて大井丸と衝突。

 

 

 

 

 

 

24日、ボルネオ島南部バリクパパン沖で海戦が発生。

 

タラカンを占領した我軍はさらに南のバリクパパンを目指します。

 

この地は石油・鉱物・木材資源が豊富で、

 

我軍の戦争遂行にとって喉から手が出るほど欲しいです。

 

 

 

 

 

 

21日夕刻、 第一護衛隊の軽巡1隻・駆逐艦9隻・掃海艇4隻・

 

駆潜艇3隻・哨戒艇3隻と輸送船団16隻はタラカンを出撃します。

 

 

23日未明、 敵潜の攻撃を受け船団の所在が敵に知れます。

 

24日0時過ぎ、艦隊はバリクパパン沖に停泊します。

 

0時半頃、魚雷艇の攻撃を受け敦賀丸が沈没。

 

 

 

 

 

 

夕刻から断続的に敵機の空襲があり、 南阿丸が被弾。

 

積荷のガソリンに引火し船体を放棄。

 

 

 

 

 

 

敵には我軍がバリクパパンを欲してることくらい

 

最初から読まれてるので、周辺海域に潜水艦

 

数隻を配置し、哨戒を続けていました。

 

 

20日、哨戒中のPBYが艦隊を発見。
 

敵は、すぐさま駆逐艦4隻をバリクパパン沖に向かわせます。

 

 

24日未明、敵艦隊は攻撃に出ます。

 

突撃したのはジョン・D・フォード、ポープ、パロット、

 

ポール・ジョーンズの4隻。

 

 

真夜中であり、敵の駆逐艦は旧式で

 

シルエットが軽巡那珂によく似てたので

 

那珂と誤認し反撃するのに戸惑っています。

 

 

 

ジョン・D・フォード

 

那珂

 

その間に須磨浦丸が雷撃で轟沈

 

 

 

ジョン・D・フォードは特設給兵艦球磨川丸に命中弾を与え、

 

その後朝日丸・藤影丸・呉竹丸を攻撃し、呉竹丸を沈めます。

 

 

 

 

 

 

須磨浦丸を撃沈したパロット、ポール・ジョーンズは

 

次に辰神丸を雷撃して撃沈。

 

 

 

パロット

 

 

 

哨戒艇37号もこの二隻の内どちらかを那珂と誤認し、

 

発砲せぬまま魚雷3本が命中し撃沈。

 

 

 

 

 

 

輸送船5隻が沈み、 大破1隻・小破1隻。

 

護衛艦隊からは哨戒艇37号が沈没の被害が出ました。

 

 

27日、バリクパパンは二度の空襲を受け、

 

対潜哨戒中の水上機母艦讃岐丸は

 

多数の至近弾を浴びて破孔から浸水。

 

また搭載中の零式水観も破壊された。

 

火災の発生したが初期消火に成功し、

 

応急修理の後引き続き任務に従事。

 

 

 

 

 

 

1月12日、伊73はミッドウェーからハワイ方面に向け

 

クェゼリンを出航。

 

27日朝、敵潜ガジョンはミッドウェー島西方

 

約250kmで浮上航走中の伊73を発見。

 

魚雷3本を発射し伊73を撃沈。

 

 

 

 

ガジョン

 

 

 

ここで被害を受けた艦は、

 
開戦以来我軍の連戦連勝の報を受け
 
心のどこかに隙があったのかもしれません。
 
自分たちが最前線にいることをもっと自覚し、
 
緊張感を持って職責に邁進してれば
 
被害を未然に防げたのではないでしょうか。
 
「慢心からは何も得るものはない」と言う
 
戒めにもつながる一カ月の被害状況でした。
 
 
 
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