有り余る時間を持て余すほどの優雅な休暇を楽しんでいる。
本を読んだり、思索に耽ったりするのには格好の機会。
そんな中、「失敗」について考えてみた。
神ならぬ身の人間、誰しも多かれ少なかれ失敗はある。
失敗自体は悪ではないと私は考える。
そこから何を学ぶか、そして失敗の傷口をいかに最小限に食い止めるか、
こういうことをしっかり考える過程で、人は成長するものである。
しかし、絶対にやってはいけない失敗がある。
それはなにか?
致命傷を負うほどの大失敗である。
「致命傷」の具体例の例示は、読者各位に委ねるが、
ここでの定義は抽象的に
「得意分野で失敗してしまったケース」としておく。
これをやってしまうと、事後収拾に大変な労力を費やすことを余儀なくされる。
以下は、実際に私の身の回りで起こったケースである。
私の近くに、グルメを気取った、ある輩がいる。
「自称グルメ」としておく。
常に美食を追い求め、
いわく「どの店の何がうまい」の類の知識の蓄積は、かなりのものであった。
どんな世界でもそうだが、自らを「通」をもって任ずるなら、
技術や知識だけでなく、マナーを弁えておくべきと私は考える。
マナーとは何か?
人に不快感を抱かせず、うまく折り合う技術のことである。
ではグルメが持ち合わせるべきマナーとは何か?
傍目に見苦しさを感じさせる食べ方をしない、
同行したメンバーとの間で明朗会計にする、
このあたりはわかりやすい点だが、
他にも、気が付きにくい点として、
「特性をわかったうえでその店を活用する」ということがある。
わかりにくいと思うので、具体的に述べる。
訳あって故郷へ帰ることになった、ある仲間の送別会をやることになった。
私は、「自称グルメ」の男にある店を紹介され、送別会の幹事を務めた。
その「自称グルメ」も出席者の一人だった。
恐ろしく段取りの悪い店であった。
オーダーしてから注文の品が出てくるまでの所要時間が異常に長い。
最初のうちは、出席者はみな、おとなしく待っていたが、
段どりの悪さゆえ、何を注文しても長時間待たされる。
最初に注文したビールが、生ぬるくなって実際に出てきたのは、実に30分後だった。
その後の料理も、すべて冷めている。
冷めた料理を出されると、たとえそれがどれほど高い技術で調理されたものであっても、
不愉快なものである。
さすがに、我慢を重ねていた出席者も皆かなり怒り出し、主賓も困惑の表情。
せっかくの送別会はぶち壊しになった。
私は、「自称グルメ」男に詰問した。
「これはどういうことだ?あなたは自信をもってこの店を強く薦めたではないか?
それも、幹事の私をさしおいて、出席者に自ら店のPRをして回っていただろ?」
それに対する返答。
「実をいうと、段取りの悪いのが玉に傷」
私は声を荒げた。
「ふざけるな!それならそれで早くそれを言え。
何が『実をいうと』だ!最も大切なポイントではないか!
段取りの悪い店ならそれ相応の活用の仕方があったのに、
それを黙っていたから、主賓以下、あなた以外の全員のこれほどまでの不興を買い、
せっかくの送別会はぶち壊しになった。
あなたもグルメを気取るのなら、
『段取りが悪い店』という特徴をちゃんと明らかにしたうえで皆に紹介しろよ!」
「自称グルメ」は一人一人に謝罪して回った。
そんな中で、ある出席者から出たコメント。
「あんたは、何をやらせてもいい加減だが、
唯一、食べ物関係だけはまともかと思っていた。
ほとんど唯一の取り柄でこの体たらくでは、あんた、どうしようもないね。」
非常に厳しいコメントだが、
これが、「致命傷の失敗」の例である。
不案内な分野での失敗は、大目に見てもらえることもある。
しかし、
「ほとんど唯一の・・・」というあまりに辛辣な言い方は置いておいて、
いやしくも自他ともに「得意分野」と考えている領域で失敗すると、
その人の全信用は失墜し、すべての能力が疑問視されてしまう、これが世間なのである。
果たして、この「自称グルメ」男は、その後誰からも相手にされなくなり、孤立した。
もっとも本人は、全然懲りていないようで、
周囲を顧みず、相変わらずその後もいい加減な言動を繰り返している。
処置なしである。
「懲りないこと」も一種の才能、と考えれば、この男なりに精一杯世間を泳いでいるとも言えるが・・・
「得意分野」では、往々にしてハイパフォーマンスを求められる。
そして、ここでの失策は、大きな痛手になる。
だからこそ、「得意分野こそ慎重に」対応しなければならないのである。