気ままに、そのまま、いつも通り、てくてくと。

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色々と何かしら書いていけれたら良いなぁと思います。趣味のことや仕事のこと、社会福祉や鍼灸、保育などなど。

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無いなぁと思ってずっと探したたんだけど
つい先日、一気に片付けたら出てきた、
亡くなった祖父が戦時中に記憶を一つひとつ
探り出して教えてくれた、当時の

零戦の塗装の参考色。

海軍機を作る際に、
『はて、爺様が整備してた航空機はどんな
だっただろう?』
とふと思ったのがキッカケ。

とりあえず市販のプラモ用塗料を紙に吹き
付けて記憶に近い色を教えて貰った。

(その色はあえてブログには載せませんが…
設定はとか言われるど面倒くさいので…笑)

祖父が所属していたのは、いわゆる教導隊
だったので使ってる航空機も零戦の一一型や
二一型とかの旧式を練習機にしてたみたい。

最終的には、零戦も九九艦爆も旧式でも特攻に
飛んでいったとのことでした。

色んな資料から練習機の赤トンボまで特攻に
使われてたのですから、納得でした。

なので、よくプラモの説明書や塗装図にある
『青竹色』は見たことは無かったそうです。

いわゆる『ほぼジュラルミン剥き出し』

まぁ、お古が航空隊に来るのですから、
ロールアウトされたばかりの錆止めが
塗った機体が来る訳がありませんわな。

いつかは作って見せたかった

『祖父が見た航空機』

祖父が亡くなる前に、私が大病を患い
プラモが数年作る事が出来なくなって
しまったのでそれは叶わなかった。

祖父は、青春を
第11◉期普通科飛行機整備術練習生を
経て相模野航空隊で送り終戦を迎えた。

小さい頃から共働きの両親に代わって
色んな事を教えてくれたのは祖父だった。

プラモの作り方もそう。

祖父がよく言っていた。

『特攻に行くことを
   思えば何でもできる』

本当にそうだと思う。


知り合いの左巻きの議員さんが聞いたら
ぶっ倒れるか、ギャーギャー喚くかも
しれないが…笑笑

まぁ、私は、右でも左でもないので。

さて、祖父を思い出しながら、零戦を
作ろうか。