子供の頃から自分の気持ちを言葉にすることが苦手です


①複雑な家庭環境

②それによって影響を受けた性格

③子供のころ、手術の際に脳に血の塊が飛んでしまったことで物理的に脳の言語野に残る後遺症


①は適切な愛情を与えられる親さんではなかった問題。悲しいことに子供だった私は深い罪悪感の刷り込みをされていて、生きていることが申し訳、存在してごめんなさいと自己否定していた。

でも、未熟だったのは親で自分の吐口を子供を支配することで解消するのは容認出来る事じゃない。どんな理由があろうと子供に肉体的、精神的な暴力は許されないからだ。

子供だった私は自分の心を閉ざして何も感じないようにするしかなかった。


②はそのために親とは愛着形成が出来なかった。

3歳の頃からどう振る舞えば子どもらしく見えるか?どうすれば被害にあわずにすむか...ばかり考えて、データを蓄積させて分析して生きていた。

大人になった今も人とコミュニュケーションをとることに恐怖と不安を感じてしまうのはあの頃の名残なのだと思う。

人といると疲れてしまうから、1人になりたがる。

1人でいるのは多少の孤独感はあるけど、気楽で楽しい。「あ!いかん!いかん!多少は外界と交流しなければ!」と負担のない範囲でコミニュケーションを築く。

人間1人で居すぎると心が弱ったときに歪んでしまうことを知っているから。


③は不運な出来事。

親さんは突然命に関わる手術にした子供の親になったことを嘆き悲しみ、現実を見たくなかったのだと思う。

私は12歳で脳梗塞になった。

私は失語症になっていた。

あの状態を表現できる言葉を私は持っていない。

話したいことがあっても、頭に霧がかかったようなはなって、言葉が形になろうとしてもシャボン玉がはじけるみたいに言葉がばらばらに砕け散る感覚。何日か自分に起こっていることが理解できずに病院のベッドで言葉にならない異音で泣き叫んだ。

あり得ないことが自分に起こっている。

暴れて泣き叫ぶ私に看護婦さんは鎮痛剤を打った。

そして、右半身も動かなくなっていることに気がついた。

想像を遥かに超える絶望と恐怖だった。

でも、泣き叫んでも誰も助けてくれない。

親さんには「ちゃとしなさい!」と叱責され、私は訴えるのは無駄だと理解して口をつぐんだ。

だから、人と話せなくなってあらゆる本を読んだ。

本を読んでいる時だけ恐怖から逃げられた。

本だけが友人でコミュニュケーションが取れる唯一の手段だったから。


今は現在は話すことにそれほど問題はない。

長年のリハビリの甲斐あって言葉を取り戻すことができた。成長期だったから、シナプスがどんどん伸びてくれたのだと思う。

人間の身体って不思議ですごい底力を秘めているのだと思う。

多少、頭で考えるスピードと言語化するスピードにずれがあるのは難点だけど、短い言葉で的確に表現するために口語でも熟語をやたら使ってしまう癖が抜けないけれど、それなりに適応出来たのだと思う。


でもね、それは当たり前の事が再びできるようになったというだけのこと。

自分の心を言語化するのは難しい。

どうして人はうまく表現することができるのだろう。

私は自分の心の痛みに鈍感で「ん?」と違和感を感じても、それがなぜ?どうして?違和感を感じるのか言語化することが苦手です。

何年もそういうことが積み重なって、どかーん💣と爆発する。そのときはとりあえずごっくんと飲み込んだ感情でも、怒りの感情を溜めこむぐらい嫌なことだったんだ...とようやく気づく。


でもきちんと言語化して、現実を受けいれないとずっと同じことを繰り返す

私はもう同じ過ちを繰り返したくないから、今これを書いています

自分のために書いています

いつかこんなこともあったなー大変だったなーなんて、振り返る日が来ることを願って。