私はバイクは旅の足として乗ってました。

鉄の馬、、、そうですハーレーダビットソン。

映画ローハイドから、、こんな旅がしたいです。


20代の頃からいつかはハーレーで旅と思い続けてました。

60年前の当時の円相場は1ドルが360円と固定してました。


そして高卒の私の初任給は一万五千円でした。

まさにハーレーは夢の又夢でした。


で日本は高度成長を遂げて50歳代になると給料はそれなりにもらえるようになりました。

そしてボーナス、退職金もみえて来ました。


人生1度きり夢をかなえてしまえと念願の夢を叶えました


65歳位までは乗りましたが300キロを越える重量は体力的に無理となりました。

バイクは旅の足ととらえていたので色々なバイクの車種は良く解りませんでした。

ライハを始めてからは色々なバイクを見る機会も増えました。

又、ライダーのバイクにかける思い入れなどもうかがうことにも触れてきました。


これは珍しいバイクだと写真に写すこともありました。


とくに印象があったライハに来たバイクですが紹介してみます。

これは7年以上も前に来られた

スたズキSW-1、250CCです



このバイクは1993年製だと思います。
当時の価格は68万8000円と高価な物でした。

ホンダCB750と同じ程の値段から売れずわずか三年で生産終了してしまいました。

あ、これはスズキST250Type-eだ。



素敵な色ですね。

スーパーカブのようなレッグシールドが付いてます。

これは後継機として200台限定で発売されました。

共にこのバイク乗りは女性でした。
現在日本ではほとんど見られないバイクです。
こんなバイクで旅するとは素敵ではないですか

そしてトランポとして移動中の見たことも無いバイクです。
エコー号と看板も持ってました。


東昌自動車工業となってます。

股がって乗ってから紐を引っぱってかけられると云うことです。

1960年代は色々なメーカーのバイクが乱立してました。

16歳で軽二輪免許を取り
私の乗ったバイクはコレダと云ったスズキの前進です。

他にもブリジストンやトーハツランペットそしてゼブラなどにも乗りました。

余談になりますがその軽二輪免許は法規が変わる事に昇格して最終的には自動2輪免許となりました。

ちなみに試験車はスクーターのラビットでした。

画像はネットよりお借りしました。
富士重工のラビットスクーターです。