おはようございます。
風水師の圓山(まるやま)真央です。
鑑定進行中のお客様から
「鬼門」についてのお尋ねがありました。
鬼門は不吉というイメージの方も多いのですが
実は伝統的な中国風水には
鬼門も裏鬼門も存在しないのです。
方位については
住む人にとって吉になるか凶になるかが
ポイントになります。
風水を知らない人にも広がっている
鬼門=不吉というイメージには、
徳川幕府の風水対策を一手に担っていた
天海の影響も大きそうです。
幕府の安泰を望む徳川家は、
“鬼門守護”という名の下に
江戸城の東北=鬼門の方位に
上野の寛永寺をはじめ湯島天神、神田明神など
次々と神社仏閣を建造していきました。
“鬼門守護”とは言うものの
本来の目的は、凶方位である江戸城の東北に
他の武家の屋敷を建てさせないこと。
風水における東北は、
変化、停止、相続などの意味をもっています。
東北方位の動きによっては
上昇している状態が下降に転じることも。
そのため、相続が変化して
徳川家の政権が奪われないよう、
江戸城の東北に神社仏閣を建てることで
政権の安定を図ったわけです。
天海による
幕府を挙げての壮大な風水対策です。
家康、秀忠、家光に仕え
堅牢な風水対策を実践してきた天海は、
次のような遺言を残してこの世を去ります。
「水戸藩より世継ぎを迎える時、
徳川家は終焉する」
時は流れ、天海の残した遺言の通りに
水戸から出た第15代将軍・徳川慶喜の代に
徳川幕府は終焉を迎えました。
なぜ水戸なのか。
水戸は江戸城の東北に位置しています。
ここまで来ると
鬼門が不吉なイメージとして記憶されるのも
分かる気がしてきますね。
徳川家にとって東北が凶方位となった理由は
この他にもありますが、1番有名なのが
この遺言に関わるものでしょうか。
ここで思い出して欲しいのは、
鬼門=東北は、江戸城に住まいしていた
徳川家にとっての凶方位だったということ。
徳川家にゆかりもなく
江戸城に住んでもいない私たちにとっては、
一概に鬼門と呼んで
東北方位を恐れる理由はありません。
住まいの方位は
住む人にとって吉になるか凶になるかを
まず考えましょう。
新しい1週間がはじまりました。
今週も元気出していきましょう。
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