おはようございます。
風水師の圓山(まるやま)真央です。
子ども時代を過ごした実家には
神棚が祀られ、お仏壇のための仏間があり、
庭の一画にはお稲荷様の社や鳥居がありました。
朝一番の水は神棚やお稲荷様に備えられ、
炊き上がったご飯は、最初に
お仏壇のご先祖様にお供えします。
毎月お坊様が読経に来られる日には
子どもも正座してお参りです。
今よりはるかに軽い子どもの体重とは言え
正座は苦痛で、そんな時は、いつ終わるかと
お坊様の手にある蛇腹の経本の頁ばかりを
チラチラ気にしていました。
ついに最後の頁と喜んだ次の瞬間、
経本がくるりと返された時のショックは
今でも覚えているほどです(笑)
蛇腹の裏側も
お経がしっかり書かれていました…。
日々の暮らしの中の祈りや信仰のようなものは
特定の一つだけという形ではなく、
さまざまな行事やその土地の風習等と一緒に
当たり前のように身近にありました。
もちろん、ひな祭りや七夕だけでなく
クリスマスだって
待ち遠しい行事のひとつでした。
神様とか宗教とか特別に意識せずとも、
目に映るものもそうでないものも
すべてがともに暮らしの中に存在していて、
それがとても自然なことだったのを
近頃よく思い出します。
この数年の暮らしが、その頃の様子に
少し近づいてきたせいでしょうか。
小さな神棚やお仏壇があり、
風水や干支に関わるもの、植物や花、
旅先で見つけたもの、いただいたもの…。
縁あって出会った目に映るものだけでなく、
自然や見えない存在をも感じつつ暮らす。
「行ってきます。留守をお願いします」と
声をかけて出かけ、帰宅すれば
「だだいま。留守をありがとうございました」と
お礼を言う。
不思議なことに、ちゃんと伝わっているのが
感じられます。
いま生きているこの場所は、
何か一つにこだわることなく
目に映るものもそうでないものも許容して
すべてが自然に存在している場所のよう。
無理せず、我慢もやめて、
好きなものは何でもありでOK!
と覚悟をきめると
スッと呼吸が楽になる気がします。
目の前にある制限や境界は、いつの間にか
自分で築いてしまったものが多いのです。
自分で自分を制限するのはやめて
境界線を開放したなら、
あとは楽しんで進みましょう。
今日は冬の寒さが戻って
各地で雪の予報も出ていますね。
週末目前です。
体調にも足元にも気をつけてお過ごしください。
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