またまた図書館で借りて、親鸞についての本を読んでみました。

 

といっても、難しい本はムリなので、今回もやさしいひろさちやさんの本です。

 

 

 

ひろさちやさんの書かれた本だからか仏教だからなのか、

 

以前読んだ2003年発行の「般若心経で朝から幸福に生きる」と似通ったイメージ。

 

そういえば般若心経が流行りだからか、新しい本も書店に並んでましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、今回「ひろさちやの親鸞を読む」を読んだところ、

 

師匠の法然さんの『念仏為本』を受けて親鸞さんのたどり着いたところが

 

 

念仏も唱えても唱えなくてもいい

 

すべてどっちでもいい

 

なんだっていい

 

すべてはおまかせ

 

 

という精神。

(もちろんこれだけではないので本を読んでくださいね)

 

 

 

まるで心屋仁之助さんが言ってることみたい!ガーン

 

 

 

(あれま、文庫本ばかり・・大きい本はほかの棚かな?)

 

数年前に、かなり心屋仁之助さんにはまって出されている本をほぼ読んで、今は落ち着いてます(笑)

 

 

心理学講座も受けたことあって、

 

迷いがあるとしても、結局どっちでもいいことに気づくのが大切なんだなって思ったのですが、なんか同じこと?

 

 

な、なんだか・・

 

時代って進化しているけれど、人間って変わんないだなぁ。。

 

 

 

 

 

で、親鸞さんの生き方で面白いと思ったのが、親鸞さんはお坊さんでは初めて結婚して普通に所帯を持った方なんですが、晩年になってから別居するんですよね。

 

 

その理由ははっきりされていないのだそうですが、

 

ひろさちやさんの見方によると、親鸞さんも奥さんも自分本来の居場所に戻ったのだろうとのこと。

 

親鸞さんは京都へ、奥さんは郷里の越後へと戻りました。

 

そして、亡くなるまで奥さんと会うことはなかったそうです。

 

親鸞さんはお弟子さんたちに、奥さんと娘さんのことをよろしく頼むといった手紙を残したそうですから、仲が悪かったわけでもないのでしょう。

 

なんだか昔々の話ではありますが、今でいうなら卒婚? 真顔

 

 

 

そして最後に(本には最初にあるのですが)親鸞さんは父母の孝養のために念仏を唱えたことなどないと言ってるし、お釈迦様もイエスも親不孝だったと書いてあって、そう言われてみれば・・と思ったのでした。

 

世間の常識に右往左往して生きてきた私ですが、なーんだってちょっと気が楽になった気もします。

 

とはいえ、そんなことすぐ忘れてまたきっと、右往左往するんでしょうが(笑)

 

 

 

 
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