「蝶」と「蛾」は何れも「チョウ目(鱗翅目:りんしもく)」で、両者には明確な区別(線引き)はないのですが、「日中に活動」する鱗翅目をチョウと言い、夜に活動」する場合はガと呼ぶ国もあるようです。
活動する時刻で分類するのは客観的(合理的)と言えますが、「見た目」で判断する場合は主観の違いが大きい国では難しく、「民族としての統一性」が必要かもしれません。
つまり、見た目による「チョウとガの分類」は、差別のないところに差別を作り出すのが得意な人によって利用されるおそれが有ると云うことです。
「夜の蝶」は、小説や映画・演歌などで出てくる、一般に「悲しげな(移り気な)深夜に働く美しい女性」を指すと思いますが、「夜に活動する鱗翅目はガ」と定義する国では「蛾」ですww
鱗翅目にも雌雄は有るので、蝶を女性だけに例えるのは「男性差別」と言われそうですが、酔って夜に纏わりつく男性を「蛾」に例えることで、「ガとチョウは同じ鱗翅目」であることを考慮すると、平仄は合うのかも知れませんww
「幸福が飛んでくる」という花言葉をもつ胡蝶蘭の学名は「ファレノプシス(Phalaenopsis)」で、「蛾のような」という意味だそうです。
若しかすると、西洋人は「蛾」も「蝶」も同じに見えて、区別する必要は無いのかも知れませんが、「反日メガネ」からすると「西洋人には差別意識が無く、日本人は見た目で差別する事案が多くみられる」とする言動の先入観に繋がるのかも知れませんww
男女を含む各種生物個体の「見た目の違い」は自然淘汰によるものであり、(現在からみると)現状が最も合理的結果と言えます。見た目が違うことで其々が「生きる場」を得て、存在しています。
ヒトを含む生物の「美醜」も、主観性・客観性を問わず、生き続けるには必要な要素です。殆ど害のないゴキブリに驚いて悲鳴を上げる人でも、「差別主義者」と言われないし、いや、それだからこそゴキブリの存在価値が有り、コオロギにしてもヒトに対する毒性が有るので乱獲から免れます。
見たままを「本能で認識」することで自然が成立しますが、ハヤリやカネなどの「煩悩で認識」すると自然は破壊されます。但し、ヒトも自然の一部と解釈すれば「破壊された自然」も自然です。