始めに、今回のテーマでは、報道における話し手の人間性や価値観のことまで論じているのではないことを付記します。「言葉は単なるツールではない」というご意見もいただきました。これについては別の機会に書きたいと思います。

さて、原子力安全・保安委員の会見、始めの頃に比べると、声がはっきり聞こえるようになり、話の内容も分かりやすくなってきたように思います。これは手話通訳者がついたこと、また最近では同時通訳もついたことと無縁ではないのではと思われます。副詞や長い主語や、肯定なのか否定なのか最後まで聞かないと分からない長い文章が減ってきていると感じます。
しかし、語尾がやたらに丁寧で分かりにくいのは続いています。例えば、「○○でございます」「申し上げます」「つきましては」「○○○をやることになりました」「進展がございませんで 」「二号機はまだ建屋がありますから、○○○から注水しております」誰に対して敬語を使っているのでしょうか。「○○です」「お話致します」「進展がありませんので」「二号機はまだ建屋があるので、○○○から注水をしています(している途中です)」と簡潔に話す方が、聞いている人にも、手話通訳をする人、同時通訳をしている人にも分かりやすいのではないかと思います。
災害時の報道では、大事なことをより正確に伝えることを優先してほしいと願います。
まず始めに、3月11日の東北関東大地震とそれに続く津波で被害に会われた皆さまに心からのお見舞いを申し上げます。また亡くなられた方々に心からのお悔やみを申し上げます。

今回の未曾有の地震災害、そしてそれに起因しながらも処置が後手後手に回っている感のある原発事故。報道を聞かない日はないが、報道を聞いていて考えさせられることも多かった。それは、何を言おうとしているか、説明が解らないことが多いことだった。専門用語が多いからだけではない、言語表現の課題を感ぜずにいられなかった。口の中でモゴモゴ話される言葉、前置きの長い文章、結論はなかなか出てこない話し方。そうかと思うと、立て板に水のように話される学会報告のような話し方などなど。
以前、竹内敏晴氏※の講演で、音声言語による表現力には、説明する言語の力と、相手に生きて届く言語の力とがあるときいたことがある。そして日本における言語教育では、説明する言語表現力にやや偏っている傾向があり、生きて相手に届く「伝える力」の育成がもっと必要という主旨の内容だった。
今回のようにテレビの前に多勢が固唾を飲んで聴いている場合は尚更のこと、この説明する力に加えて、マイクの向こうの聴衆に生きて届く言葉の力が加わらないと、しっかり伝わらないのだと考えさせられた。(続く)

※竹内 敏晴(1925 - 2009年)は、東京生まれの日本の演出家。宮城教育大学教授。東京大学文学部卒。
著書『ことばが劈(ひら)かれるとき』思想の科学社 1975年(昭和50年)/ちくま文庫 1988年他多数
http://ja.wikipedia.org/wiki/竹内敏晴