見ました、というお話。ネタバレもあるでよ。




これ2011年だっけ?当時大学生で、祭に勤しんでいた俺はあんまりちゃんと見てなかったんだよね。3話だか4話で、のっぴきならないやんごとない理由(たぶん家に帰ってなかったとか)で見続けられなくなってぱったりしていたんだけど、体調崩して安静にしてなきゃならない土日でばーっと見ました。24話、連続視聴。




12時間は長い(白目)




あああああでも本当によかった。本当に。心が揺さぶられた。




今度ちゃんと考察でもしてみよう。友人はこの題材で卒論書いたらしいよ。
放映された時期も2011年とあの年だし、実際の事件ともリンクさせていて非常に引き込まれました。全部観れてよかったー。




こどもブロイラーにおける「透明」について




俺がこの表現を聞いた時は、真っ先に園子温の『冷たい熱帯魚』が浮かんできた。よっぽど印象に残っている表現なんだと思う限りだけれど、ピングドラムの背景に神戸連続児童殺傷事件があるとなれば、背景に愛犬家連続殺人事件がある冷たい熱帯魚もあながち方向性としては分かれていない。ところでこの「透明」がガラスが割れる様に喩えられている部分はどういう根拠なんだろうか。透明だから?そんな安直な理由でもない気がする。


透明さ


蔓延している空気としてこの「透明さ」はひとつの現代病だよなー。存在理由を病的に欲する子ども。若者。俺もその一人なわけだけど、居場所がデフォルトで「存在しない」なんて、寂しいよね。誰にも影響を与えられない、与えない方がいい、なんて寂しいよね。でもそれが気楽に感じられる程、天井はいつも曇って落ちてきそうだったよね。世代に共感できるのは、その世代だけ。もっと言えば、一部だけ。シェアなんてなんの価値があるんだろうかーなんて思いつつ、考えはまとまらないので、とりあえず、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でも読んでみようと思う。『夜は短し歩けよ乙女』で本の神様が「物語はつながっている」と言っていたけれど、まどマギとかシュタゲとか、また観直そうかなー。つながっているよなあ。




なんて考えた、早稲田の文学部らしい土日。