どうもこんにちは、はらしょーです。

※私ではないけど私だと思ってみてあげてください。

 

いよいよ始めたいと思います。

ジョン万次郎のことを書いてみよう!企画です。

ジョンマンファンを増やすキャンペーンとも言えますね。

さらに先に進むために『白鯨』を読んでいますが、白鯨は表現が古過ぎて頭がこんがらがります。

夏目漱石はまだ読めるけど森鴎外の本をそっと開いてそっと閉じ、そっと本棚に戻すのと同じくらいの混乱度合です。

 

なるべく事実に沿って書くけど小説風にしかかけないから多分違うこととかあるかもだけど、

万次郎の良さが伝わるようにそこだけはブレずに頑張ろうと思います。

 

第1章 『万次郎、働く』です。

 

【年表】

 

1827年 現在の高知県土佐清水市で誕生

1836年 父が他界

1841年 漁師になる

 

年号は天保。貿易や捕鯨のために出す外国船が食料や物資を求めて日本で

交渉を求めても鎖国の影響で冷遇されるため、開国を迫りつつあります。

そして、1840年にはアヘン戦争が起こりました。

幕府はヨーロッパやアメリカによる日本への侵略をより恐れるようになっていきます。

 

 

 

『万次郎、働く』

 

 いつもは寄り道なんぞしない万次郎でも今日ばかりはさすがにその足で家に帰る気にはならなかった。

まだ太陽が港にかかりもしないうちに帰ってしまっては、すぐに何かあっただろうとお母さんに知れてしまう。

沈んだ気持ちのまま着物の裾に入り込んだ米のかすを海鳥に投げては暇をつぶそうとした。

それでも持て余してしまったのでいつもの1歩分を2歩にして進んだが、家まであと20歩も先のところで嬉しそうに駆け寄ってくる弟たちに見つかった。万次郎は嬉しいような後ろめたいような笑顔で返した。

 

 母はあまり強く叱らなかった。

ただ、「次のあては○○さんとこの旦那しかないだろうねぇ・・」などと父の残した台帳を上から下からめくっては戻したり、汁椀にメシをよそっては「あらやだね」などと繰り返し、目をあちこちさせる母に万次郎はただただ申し訳ないと思うばかりだった。

 

 このままおやじさんに気に入られて、養子になれるだろうとタカをくくるほど農家なんぞ難しいこともなかった。

精米の杵打ちに小石を混ぜてみたら、いつもは辰から初めて巳で終わるものがその半分も行かないうちに済んだ。これはしめたと思って意気揚々おやじさんに自慢したところで大目玉を食らい、あえなく無職のつんつるてんとなった次第である。

【※天保の大飢饉も相まって、米を粗末にできない状況でした。小石を混ぜてしまうと米が割れてしまうので商品にならなかったのです。】

 

 母の支えもあり、何とか見つけたのは宇佐浦で漁船に乗り込み下働きする出稼ぎの仕事であった。

 父のいない我が家を支えるためにも、今度こそ上手くやらなけりゃいけない。万次郎は言い聞かせた。

 

 そして船頭の筆之丞は寅右衛門、重助、五右衛門、そして新参者の万次郎を乗せて漁に漕ぎ出すのであった。

 

 14歳の万次郎はこれから11年10か月も母と会えなくなることを知る由もない・・・。

 

 << 続く >>

 

 

次回もお楽しみに☆