婚活女子の求める「年収500万の星野源」などという愚考が何故発生するのか。男の経験者として考察する。
 結論として
「こんなにお預け食って、傷ついて、どんなに苦しかったと思う?なんとか自殺しないで生きてきて、ちょっとやそっとの相手で、満足できるか、ボケ」
である。
 もちろんこんな傲慢は無意識下のことである。意識としては、「いいか、お前幾つになった。今までモテたことない上に歳まで食ってんだぞ。現実的にならないかん。きっとどんな女でもいいとこあるよ。地に足つけないと。歳も32から33なら今どき子供も大丈夫。」等。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/364a7cf7679f9c7ad36fc6a9af085d369df284e6

 まずリンクを貼っておくが、このままではやばいと婚活に入るのは、30を過ぎてになろうが、この頃から体感の一年が早い。男の場合、加藤茶を筆頭に、年下美人と結婚する著名人がしょっ中報道されるが、ゆめゆめ自分と同じ人類と思うべきではない。最近ではアナウンサーの安住さんが、遅めの結婚されましたが、私には「散々、モテモテで、結婚する必要もないと思ったけど、ぼちぼちしとくか。」位に感じた。(違ったらすいません)

 話がそれたが、モテる人種の例は除外するべし。しかし、貧すれば鈍する、私自身がいよいよ詰んで、お見合いに近い形で、紹介されることもあったが、納得、決断出来なかった。やはり一度も恋愛出来なかった現実が邪魔をする。失恋や片思いした女性と比べてしまい、同程度か以上を求めてしまって止めることが出来なかったと思う。恋愛強者とは人種が違うと、理解しているつもりでもそうなってしまう。逆転ホームランに期待する愚かさだが、一言弁明させてもらうと、もう傷ついてボロボロ。一生一度くらい、、気持ち悪いかも知れないが本音であり、辛い経験で病んでいるのも確かだろう。

 前置きが長くなったが辻村深月さんの『傲慢と善良』のタイトルは、こういう人間の心理を顕している。彼氏ができない。処女。婚活。うまくいかない。口では「贅沢はいいません、普通の人で」といいつつ、その普通は星野源レベルについなってしまう。それに「普通」を連発する両親がからんで混沌としてしまう。東京と地方との対比で、地方で真面目に生きてきた、主人公と両親が、悩みながら「傲慢」になってしまう経緯を丹念に追う。男と女の違いはあるが、無意識に真面目に考えて、その結果が『傲慢』になって、その為出会っても結ばれない。出会う為に出会う、という行為は続くと消耗する。負のスパイラルである。そんな時期を経験してる時、私の脳裏にあったことは「一度でも、彼女がいたことがあれば、こんな目に会わずに済んだのに」という本音だが意味のない言葉だった。

 さらに、結婚がうまくいかない上に童貞であることものしかかる。

 どうも書いているうち、未婚、童貞、非モテ、恋愛弱者とゴチャ混ぜ混乱してきた。それぞれ関連するが意味は違う。

     例えば未婚でモテる

     風俗大好きだが素人知らず

     モテたことはないが今彼女がいる

など。

 原点である童貞(高齢)についての考察をしてみたい。