オッサン的バイク整備理論 | オッサンとセローとなんでもない日常。

オッサンとセローとなんでもない日常。

広島の通勤ライダー。底辺のオッサンのセロー225となんでもない日常のつぶやき。

お疲れ様です!

 

いやはややっぱり思ってしまう整備に関して。

 

おそらくオッサンのバイクや動画を見て知ってる方は思ってることでしょう。

 

「絶対まともな整備はしてないだろ」って。

 

応えはもちろんYES!!(笑)

 

整備士じゃなくても誰が見ても転ばなくてもバラバラになりそうな雰囲気醸し出してるからね~(笑)

 

いやま、笑い事じゃないんだけどね(笑)

 

さてさてだからと言って走行中に何かもげたり壊れたりしてるかと言えば実際はオッサンとセローの生還率はかなり高いと思う。

 

なんだかんだツーリングにしろエンデューロにしろ走行できなくなったり、トラブルで困るとかあまり・・・・

 

 

あるね(笑)

 

ブレーキが無くなったりセルでエンジンかからなくなったり時々ありますね(笑)

 

しかしながら何とかして一日楽しんできちんと家まで乗って帰っているという

 

あー、チェーンが切れたのはタケポンにひぱってもらったっけ。

 

あれはどうしようもできなかったけど、大抵のことは何とかなるってことだと思うし、そういう経験もとても面白い。

 

さて、本題はだからなに?っていうことなんですけど。

 

整備ってどこまでやればいいんですか?っていうことなんかな?

 

本音を言えば、常に最高の状態のマシンに乗りたい。

 

でもそれを維持するのって金と時間がかかりますよね?

 

オッサン的にそこに突っ込む金と時間をどこまで別のことに回せるか?と言うのが本題かな~?

 

某、徘徊老人さんみたいに毎週のようにバラシて整備して本調子を維持するのはすごいと思う。

 

オッサン的にはその時間こうしてブログ書いたり開拓したり子供と遊んだり動画いじったり副業でもやったり誰かと遊びに行ったり地味な練習したり

 

何かしらに使える数時間だと思うし、整備の優先順位ってそんなに高くないんですよね。

 

「今程度の腕でそこまで性能は必要と思わない」とか

 

「バイクなんてちゃんと走って止まれば少々ええじゃろ」てきな。

 

レースでどうしても勝ちたいとか世界レベルにうまくなりたいとか大きな目標でもあればまた違うんだろうけど。

 

とにかく楽しく走れれば良い。と言う程度にしかバイクの必要性を求めてないんですよね。

 

ただこの「楽しく走る」と言うのは難しく。

 

「いつでも走りに行けて帰ってこれる」と言うのがあるんですね。

 

むしろ思ったときに走りに行けない時点で楽しくないじゃないですか。

 

かといって、動くだけで思ったように走れないのも面白くないと来たもんだ。

 

じゃ、いったいどのくらいが適正なのか?と言うことになると。

 

べつに困ってないくらいの今?と言うことになると思う。

 

いや、実際登れなかったり疲れるところもあるし、セロー本来のスペックは出てないけれど。

 

遊びに行ってちゃんと帰ってこれるんだもん。

 

足回りとかハンドルが曲がったとか見た目が~とかもちろん大切だし本人が「こうじゃないと気持ちよく走れない」と言うのが一番大切なんだけど。

 

「走る」と言うことだけに視点を置いたらそこまで完璧な整備って必要なのかな?って。

 

オッサン的にバイク一月乗れない時間ができるよりも

 

一か月でどれだけ乗れるかが重要なのですよね、通勤ライダーとしても。

 

実際はバイクのせいで登れない所やできないことってやっぱりありますよ。

 

それでも調子の悪い状態やバランスのずれた状態のマシンの100パーセントを引き出してるのか?と言えばノーですからね。

 

ならどこに目標を置いてるか?と言うのが重要なんじゃないかな?

 

今の状態のセローですらまだまだできることは沢山あると思ってるし。

 

と、実際は最高のマシンで練習したいしレースにも挑みたい。

 

でもできないから出来ることを思い切り楽しむしかないってだけのオッサンの話。

 

ただ、目標があったり勝ちたかったり本物になりたいと思うなら

 

間違いなく常に最高のバイクの乗るのがいいとは思う。