だいぶブログを貯めてしまいました原田です。
きがつけば、もう三月です。
一年一年がほんと早くてびっくりします。
さて、今日は3.11ということで、Twitterやいろんなところで震災の話が出てるので、
皆さんもいろいろ何か考える一日だったと思います。
あの日は仕事の途中、息抜きしに自宅にいたらあの地震でした。
台所のお皿が割れたり、エレベーターが止まったりして大変ななか、
慌てて外に飛び出しました。
当時は営業の仕事たったので、
ふとお客様のことが気になり、
自宅や店舗を訪ねてまわりました。
したら、ご飯を食べさせて下さったり、
お茶をご馳走してくれたりと、
改めてお客様のあったかい心にふれたり、、。
いろんな意味で忘れられない日になりました。
でも、私にはもっと忘れてはいけないこともありました。
1.17の阪神大震災。
人生で初めて「身近な人の死」を経験した出来事でした。
私は浜松で一人暮らしをしていて、その時は友人宅でみんなで鍋をつついてました。
そしたら、突然揺れました。
みんなで、酔っ払ってるなーとか言って笑ってました。
ほろ酔い気分で自宅に帰ると、当時の彼氏から留守電が吹き込まれてました。
「帰ったらすぐ電話くれ!」
ただ事ではない感じだったので、電話すると
「テレビ見ろ!」と言われたのでテレビをつけたら、あの高速道路がなぎ倒された映像が映りました。
それが、毎日通勤してた場所だったとわかるまでしばらく時間がかかりました。
時間がたつにつれ、神戸の街が見たことない姿に変わっていき、ビルや家屋がペシャンコになり、
炎に包まれているのを私はテレビで見ることしかできなく、、
家族や友人誰一人電話がつながらないなか、
次々と速報される遺体の名前。
家族や友人の名前がないことを必死で祈りました。
でも、名前がありました。
その子は震災前夜、スキーから帰宅して疲れてリビングのソファで寝ていたところ、屋根の瓦が直撃して亡くなりました。
お母さんは、
「風邪ひくから部屋でちゃんと寝なさい」と声をかけたそうなんですが、疲れてるからここで寝ると言ったのでそのままにしたそうです。
結果、家族の中で彼女だけが亡くなりました。
お母さんは今でも
何故引っ張ってでも部屋に連れていかなかったのかと自分を責めています。
私も家族と連絡がつくまで5日かかりました。
その間は全員の死を覚悟した毎日で、一歩も家から出れずテレビの前からうごけない毎日でした。
友達や同僚や上司がかわりばんこで常に会いにきてくれ、ご飯を食べさせてくれました。
当時は神戸上空をヘリコプターが毎日飛び交っていたので、
妹やお母さんはいまだにヘリコプターの音を聞くのが嫌だと言ってます。
今、神戸の街はすっかり震災の面影は薄れてしまったように思いますが、
風化してはいけない出来事ですね。
最近はfacebookのおかげで中学校時代の友人達と再び出会い、お酒を呑めるようになりました。
妹が生きていてくれたおかげで、
可愛い姪っ子が二人も産まれました。
あんな過酷ななかみんな頑張って、
時がたってそれぞれ家庭をもち、笑ってお酒が飲めていることにほんとに感謝しかないですね。
ひとつひとつの出会いってほんとに奇跡だと思う。
なのに、小さいことで相手を妬んだり傷つけたりいがみあったり、、、。
一日24時間という時間の一分でも、
自分と一緒にいてくれたり、
笑ってくれたり、
ご飯食べてくれたり、
怒ってくれたり、
それこそLINEしてくれたり
そーゆー相手がいることはほんとに感謝しないと、
目の前にいるその人達がいついなくなるかわからないので
私はそんな人達にはいつも二つの言葉で気持ちを伝えていきたいと思います。
いつも
「ごめんなさい」そして
いつも
「ありがとう」
たまには真面目なお話でした。
さて、今月は温泉や、パーティや、ライブや、
ニコ生や、飲み会などなど
全力で楽しみます。
とりま、近々のライブは
天才凡人ワンマンライブ
&みねくんのbirthday
ですな。
実はワンマンライブって初めて行くかもやな?

明日も一日全力で楽しみまーす。
とりま、酔っ払って頭かち割らないよう気をつけます。
こないだ日本酒飲みすぎて足にきて、
柱に頭ぶつけて頭から流血したまま寝てたので、
そんなアホな死に方なんかできませんから、
、、。
ほんとに
Android携帯からの投稿
きがつけば、もう三月です。
一年一年がほんと早くてびっくりします。
さて、今日は3.11ということで、Twitterやいろんなところで震災の話が出てるので、
皆さんもいろいろ何か考える一日だったと思います。
あの日は仕事の途中、息抜きしに自宅にいたらあの地震でした。
台所のお皿が割れたり、エレベーターが止まったりして大変ななか、
慌てて外に飛び出しました。
当時は営業の仕事たったので、
ふとお客様のことが気になり、
自宅や店舗を訪ねてまわりました。
したら、ご飯を食べさせて下さったり、
お茶をご馳走してくれたりと、
改めてお客様のあったかい心にふれたり、、。
いろんな意味で忘れられない日になりました。
でも、私にはもっと忘れてはいけないこともありました。
1.17の阪神大震災。
人生で初めて「身近な人の死」を経験した出来事でした。
私は浜松で一人暮らしをしていて、その時は友人宅でみんなで鍋をつついてました。
そしたら、突然揺れました。
みんなで、酔っ払ってるなーとか言って笑ってました。
ほろ酔い気分で自宅に帰ると、当時の彼氏から留守電が吹き込まれてました。
「帰ったらすぐ電話くれ!」
ただ事ではない感じだったので、電話すると
「テレビ見ろ!」と言われたのでテレビをつけたら、あの高速道路がなぎ倒された映像が映りました。
それが、毎日通勤してた場所だったとわかるまでしばらく時間がかかりました。
時間がたつにつれ、神戸の街が見たことない姿に変わっていき、ビルや家屋がペシャンコになり、
炎に包まれているのを私はテレビで見ることしかできなく、、
家族や友人誰一人電話がつながらないなか、
次々と速報される遺体の名前。
家族や友人の名前がないことを必死で祈りました。
でも、名前がありました。
その子は震災前夜、スキーから帰宅して疲れてリビングのソファで寝ていたところ、屋根の瓦が直撃して亡くなりました。
お母さんは、
「風邪ひくから部屋でちゃんと寝なさい」と声をかけたそうなんですが、疲れてるからここで寝ると言ったのでそのままにしたそうです。
結果、家族の中で彼女だけが亡くなりました。
お母さんは今でも
何故引っ張ってでも部屋に連れていかなかったのかと自分を責めています。
私も家族と連絡がつくまで5日かかりました。
その間は全員の死を覚悟した毎日で、一歩も家から出れずテレビの前からうごけない毎日でした。
友達や同僚や上司がかわりばんこで常に会いにきてくれ、ご飯を食べさせてくれました。
当時は神戸上空をヘリコプターが毎日飛び交っていたので、
妹やお母さんはいまだにヘリコプターの音を聞くのが嫌だと言ってます。
今、神戸の街はすっかり震災の面影は薄れてしまったように思いますが、
風化してはいけない出来事ですね。
最近はfacebookのおかげで中学校時代の友人達と再び出会い、お酒を呑めるようになりました。
妹が生きていてくれたおかげで、
可愛い姪っ子が二人も産まれました。
あんな過酷ななかみんな頑張って、
時がたってそれぞれ家庭をもち、笑ってお酒が飲めていることにほんとに感謝しかないですね。
ひとつひとつの出会いってほんとに奇跡だと思う。
なのに、小さいことで相手を妬んだり傷つけたりいがみあったり、、、。
一日24時間という時間の一分でも、
自分と一緒にいてくれたり、
笑ってくれたり、
ご飯食べてくれたり、
怒ってくれたり、
それこそLINEしてくれたり
そーゆー相手がいることはほんとに感謝しないと、
目の前にいるその人達がいついなくなるかわからないので
私はそんな人達にはいつも二つの言葉で気持ちを伝えていきたいと思います。
いつも
「ごめんなさい」そして
いつも
「ありがとう」
たまには真面目なお話でした。
さて、今月は温泉や、パーティや、ライブや、
ニコ生や、飲み会などなど
全力で楽しみます。
とりま、近々のライブは
天才凡人ワンマンライブ
&みねくんのbirthday
ですな。
実はワンマンライブって初めて行くかもやな?

明日も一日全力で楽しみまーす。
とりま、酔っ払って頭かち割らないよう気をつけます。
こないだ日本酒飲みすぎて足にきて、
柱に頭ぶつけて頭から流血したまま寝てたので、
そんなアホな死に方なんかできませんから、
、、。
ほんとに

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