私が社会人になったばかりの頃は、「ITエンジニア」などと言うこじゃれた言葉はなく、
下っ端は「プログラマー」上達すると「システムエンジニア」だった。
私がめしをくうために選んだ仕事は、その「プログラマー」だった。
本当は小説家になりたかったのだが、大学卒業までになれなかったので、仕方なくプログラマーになった。
私が就職したのは、長野では一番大きいIT企業、昔風に言うと、情報処理の会社だった。
ここまで言うと、どこだかわかっちゃうかも。
それはともかくとして。
この会社では、同期が学校一クラス分くらいいて、学校の延長のようだった。
だから、新人研修も、学校の授業みたいだった。
その会社でも、学校のように、女の子は「仲良しグループ」を作った。
私はといえば、その一つのグループに入ってはいたが、肝心なところでは、ぼっちだった。
新人研修が少し進み、我々もプログラミングとは何ぞや、が、わかり始めた頃。
いよいよプログラミングの実習に入った。
そこで、ぼっちだったというわけだ。
プログラミングの「仲良しグループ」は、ランチの「仲良しグループ」とは、ちょっと構成が変わっていた。
みんなは、友達同士で、ああでもない、こうでもない、と、意見を出し合いながらプログラムを組んでいたが、
ぼっちだった私は、一人で考えて、一人でプログラムを組んでいた。
それが原因かはわからないけど、私は、その会社でしか通用しない技術しか取得しなかった。
自分で言うのも何だが、私は、その会社では随分重宝された。
重宝されたのはいいのだが、それなりの苦労もした。
何せ大きい会社だから、プロジェクトのどこかは必ず炎上している。
その、炎上しているプロジェクトをたらい回しにされるのが、私の日課になった。
それでも、頑張って小説書いてたんだよ。
まだ若くて体力も気力もあったから、夜中の十一時に帰宅しても、小説を書いていた。
そんなことはどうでもよくって。
つまり、転職した途端、「何でもできる人」から、徐々に「何もできない人」になり下がってしまったのだ。
去年まで在籍していた会社では、完全に「何もできない人」になり、
新人が受けるような研修も受けさせられていた。
その一つが「アルゴリズム研修」。
アルゴリズムとは、まあ、プログラムを組む際のプロット、シナリオのようなものなんだけど。
私の作るアルゴリズムは、複雑で長い。
シンプルなアルゴリズムを作る術を知らないからだ。
何故知らないかというと、基本のキを学習していた時に、誰とも話し合わなかったから。
一人でやっていたから、一人分の知恵しか身に着けなかったというわけ。
他のITエンジニアたちは、仲間で意見を出し合ってきたから、私の何倍ものスキルを持っているというわけ。
それで、正社員あるあるの上司との個人面談の度に、
「美伊さんって、なあんにもできないね」
と(いや、はっきりそう言われたわけではないが)言われて、プライドそぎ落とされて、早期退職を選んだというわけ。
このことの原因も、結局は、私の友達作りが下手なのが原因だったのか……。
でも、最近は「無理して会社で友達を作る必要はない」と謳う人もぼちぼち出てきて、
少しありがたい。