必ずしも子供の意識は大人でかわるとは言い切れないかもしれないけど、そう思えることがあった。
何度もここに書いたように、私は小学生の頃、いじめられていた。
四年生まで、担任はコロコロ変わったが、私は、いじめられていることを、誰にも相談できなかった。
何故って?
「ホームルームや学級会では、クラス全員が関係することだけを取り上げなさい。個人的なことは個人で解決しなさい」
コロコロ変わった担任たちは、口をそろえてそう言っていた。
だから、私だって試してみたんだよ。
いじめているみんなに、
「どうしていじめるの?」
って、訊いてみた。
だけど、みんなヘラヘラ笑っているだけで、何も答えてくれなかった。
いや。
「いじめやすいから」
と、答えてくれた子もいたか。
何はともあれ、五年生になって、我々のクラスの担任になった先生は、驚愕した。
クラス全員が、私をいじめていることにだ。
先生は、学級会やホームルームで、
「いじめや仲間はずれはいけない」
ということを、何度となく話して、我々に話し合う機会をくれた。
そのうち、クラスの雰囲気も、少しずつ変わってきた。
それが分かったのは、五年生、いや六年生だったかな?そのある日。
私たちの班は、中庭の掃除をすることになった。
「美伊、どぶ掃除しろ」
と、男の子たちに言われるままに、私は掃除用具を使わせてもらえず、それこそ素手で、俗に言う「どぶさらい」をしていた。
それが辛くて、毎日泣いていた。
見かねたクラスの子の何人かが、
「美伊、どぶさらいのこと、ホームルームで言いなよ」
と言ってくれた。
この辺から、クラスメイトたちの意識は変わってきたのかもしれない。
そして、ホームルームの時間。
残念ながら、当番は言った。
「今日は時間がないので、大事なことだけにしてください」
私は、手を挙げなかった。大事なことだけにしろといわれたからだ。
だけど、さっきの子たちが、
「美伊、言いなよ」
と、私を促す。
「だって、大事なことだけだっていうから」
「大事なことでしょ?」
この一言で、私はみんなの意識が変わったことに気づき、泣きながらどぶさらいの一件について話した。
班の男の子は、次々に立ち上がり、謝ってくれた。
そして、見て見ぬふりをしていた女の子たちも、謝ってくれた。
「美伊は変わっているから、いじめやすいから、いじめてもいい。いじめられるほど変わっている美伊が悪い」
そんな、クラスの雰囲気を払拭してくれたのが、その先生だった。
こうして、大人たちに揉まれていくのね、子供たちは。