クリスマスといえば、今も胸が痛む思い出がある。
あれは、小5の12月。
クラスで、クリスマス会をしましょうという話になった。
プレゼント交換もしよう、プレゼントは手作りで、と決まった。
私は、赤い折り鶴が赤い小箱に入った、小さいオブジェを作った。
ビーズも散らして、かわいくした。

そして、クリスマス会。
どのようにプレゼント交換をしたか忘れてしまったが、クラス全員でクリスマスプレゼントを交換した。
私のオブジェが誰に渡ったか、結局わからずじまいだったが、それとは別に、苦い思い出ができてしまった。
一人の男子が、真ん中に出て言った。
「女物が当たっちゃったんだけど、誰か交換してくれる?」
正直に言う。
私の手の中にあるプレゼントよりも、彼が持っていた赤い手編みの帽子の方がよかった。
だから、私は言った。
「私、交換するよ」
すると、私に当たったプレゼントを作った男の子が怒って、
「俺のプレゼントがいらないならいいよ!」
と、自分に当たったプレゼントを私に差し出し、私の持っていた(彼の作った)プレゼントをひったくった。
私は慌てて、
「そういう意味じゃないよ(本当はそういう意味だったのだが)。いいよ」
と言ったが、彼は頑として受け入れなかった。

クリスマス会が終わった後、私が彼を傷つけたと、クラス中の男子から責められた。
責められても仕方ないことをしたという自責の念もあり、次の体育の授業に向かう廊下で、横隔膜が痙攣するほど泣いた。
クラスの女子たちは、
「気にすることないよ」
と言ってくれたが、私にとって、そしてその彼にとっては、つらいクリスマス会になってしまった。

そして、帰宅後。
私は、クリスマスプレゼントとして私に(てか彼に)当たったプレゼントを持って帰った。
それは、絵の好きな子が作った、自作のカレンダーだった。
それを見た母は、
「お前は何を作ったの!」
と、もうここから半分怒っていた。多分、私がプレゼントを作っているのを母は見ていないから、この時点で、私が大したものを作らなかったとわかったのだろう。
私は言った。
「……折り紙の鶴……」
「そんなもので、これをもらってきたの? 呆れた!」
と、母にさんざんお説教されて、私はまた泣いた。
まだ子供で、オブジェという言葉を知らなかった私としては、私のプレゼントを説明する術がなかったのだ。
だから母は、私が本当に鶴一羽折って持って行ったんだと思ったんだろう。
私なりに心を込めて作ったことが母に伝わらなかったことは、悲しかった。
ま、仕方ないっちゃ仕方ないけどね。
私のオブジェを見ても母は、こんなもので云々と言ったと思う。